ここ数年、入浴中は防水スピーカーでAudibleを聞いたり、Spotifyを聞いたりしている。防水スピーカーを買った当初は音楽を聞きまくっていたけど、最近ポッドキャストを聞くようになった。
私のお気に入りは『笑い飯哲夫のサタデー仏教ナイト』と『まったら聖書ラボ』読書をするにあたり、仏教知識や聖書の知識は無いよりもあった方が楽しめるのだ。
先日『まったり聖書ラボ』のゲストに大阪のあいりん地区等ででボランティアをされている牧師さんが登場した。彼の話はとても面白く、その活動は福祉業界で働いている私にとって役立つ知識が多かった。
その中で心に残ったのが「ハウスとホームは違う」って話。
ホームレスに家を用意しても、それだけでは駄目でホームレスにはホームが必要なのだ…と語っていた。
英語の意味合い云々はさておき。ここで言うハウスは「家」でホームは「家庭」なのだと思う。独身では駄目だ…とか言う話ではない。「居場所」とか「コミュニティ」とかそう言った概念。
家族がいない人でも友達がいたり近所付き合いだったり、他者と繋がりつつ生きることが必要なので孤独な人に住む場所だけ提供しても駄目ですよ…ってこと。
……って話が前提に。ちょっと話を脱線する。
我が家の隣には筋金入りのクレーマーが住んでいる…って事は何度となく日記に書いているけれど、この夏は猛暑の影響もあるのかあまり姿を見掛けなくなっていた(相変わらず我が家の監視活動は続行中だけど)そんなお隣さんを先日久しぶりに自宅の前で姿を見掛けた。
お隣に住む女性はどこかへ出掛けるところだったのだけど両手に大量の荷物を持っていた。トートバッグに紙袋を数個。旅行…って訳ではなさそうなのに何故か大量の荷物を持っている。
その姿は都心で見掛けるホームレスの人と似ていた。人の外見を悪く言うのは下品なことだけど、服装にしても髪型にしてもホームレスの人のようでギョッとした。
「おはようございます」と挨拶してみたけれど私の顔をチラ見しただけで返事は返ってこなかった。
失礼な話ではあるけれど彼女もハウスはあるけどホームが無い人なのかも知れないな…と思った。
お隣さんは高齢母と娘の2人暮らしだったけれど母が亡くなってから娘さん(と言っても私より年上)が1人暮らしをしている。彼女は町内会の防災訓練にも溝掃除にも出てこない。長年に渡って近隣に喧嘩をふっかけてきたのでご近所には友達どこか立ち話が出来る人もいない。
なんと言うのかな…お隣が厄介なクレーマーだ…ってことは変わらないし仲良くするのは不可能だと思っているけど、なんだか気の毒に思えてしまった。だからって私が何かする訳じゃないんだけど。
彼女は毎年、節分の夜には大声で「鬼は外。福は内」と叫んで四方八方の家に大量の豆をぶつけてくる人ではあるけれど、豆まきなんかせずに挨拶したり家の前のゴミを拾ったり近所の人に戴き物配ったり(貰ったり)したほうが、よほど良い事があると思うんだけどなぁ…などと思ったりした。
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