『ローマ法王になる日まで』は2021年現在のローマ法王フランシスコ半生を描いた作品。フランシスコ教皇はで史上初の南米出身。
クリスチャンの数が少ない日本人にとつてローマ法王って、いまいちよく分からない存在だと思う。私もその中の1人。
- カトリックでで1番偉い人
- コンクラーベで選ばれる
……程度の知識しかないけれど、フランシスコ教皇の半生はなかなかエキサイティングなので『ローマ法王になる日まで』は日本人でも退屈せずに鑑賞出来ると思う。
だけど先に書いておきます。残虐な場面がちょいちょい入るので、グロ系とか残虐系が苦手な人は避けた方が良いかも。
ローマ法王になる日まで
あらすじ
2013年、コンクラーベ(教皇選挙)のためにバチカンを訪れたベルゴリオは自身の半生を振り返っていた。
ベルゴリオはアルゼンチン・ブエノスアイレスの大学で化学を学んでいたが神に仕えることを選ぶ。そしてベルゴリオはイエズス会に入会しイエズス会管区長に任命される。
アルゼンチン軍事独裁政権下でベルゴリオは他の教区の神父に依頼され神学生を含む反政府運動に関わった青年たちを神学校で匿う。
軍が神学校を捜索に訪れたが、危険を察知したベルゴリオは青年たちをウルグアイに逃がす。
さらにベルゴリオは不当拘束などの訴えに耳を傾けていたオリベイラ判事に危険が迫っていると知り、オリベイラ判事と家族を寄宿舎に匿う。
「解放の神学」の活動をしていた2人の神父と恩師エステルの娘が軍に連れ去られ、ベルゴリオは枢機卿に海軍大将との面会を願い、大統領官邸でミサを捧げる。2人の神父とエステルの娘は、心身に深い傷を負いながらも解放されるが、今度はエステルと友人たちが逮捕され、予防注射と偽って睡眠薬を打たれ飛行機上から海へ投げ落とされる。
ベルゴリオは多くの仲間を失っていく。苦悩しながらも様々な問題に立ち向かう。
やがて、独裁政権の時代が終わりを告げる。
失意の中、再び神学を学ぶために訪れたドイツで「結び目を解く(ほどく)マリア」の聖画と出会い、自らの道を確信する。
ドイツからアルゼンチンにったベルゴリオは地方都市で穏やかな日々を過ごしていたが教皇ヨハネ・パウロ2世からブエノスアイレスの補佐司教の任命を受ける。
ブエノスアイレスに戻ったベルゴリオは、貧困地区の住民たちに寄り添い、自らの信じる道を進んでいくのだが……
アルゼンチン、マジヤベェ!
『ローマ法王になる日まで』なんて題名なので、てっきりローマ法王になった男の信仰の日々を描いた作品なのかと思いきや、その大半は「アルゼンチン苦闘の時代」って感じで、独裁政権下のアルゼンチンの描写だった。
独裁政権と言うと、中国とか旧ソ連で行われた社会主義国家の粛清とかそういうイメージしかなかったのだけど、アルゼンチンも大変だったんだなぁ…
恥ずかしながら不勉強でアルゼンチンのことは全く知らなかったのだけど、理不尽に継ぐ理不尽。暴力に継ぐ暴力で「うわァァァ」みたいな気持ちになってしまった。作品の9割は独裁政権の理不尽と暴力。残り1割が宗教的なこと…くらいの割合。
南米の人は血の気が多いのか、やることがいちいち残酷過ぎる。サクッと殺せば良いものを、拷問に近い殺し方をするのだ。なんかもうリアル『北斗の拳』って感じ。
ある意味正しい方向性ではある
『ローマ法王になる日まで』はフランシスコ教皇の半生を描いた作品なので、この作品の方向性はある意味正しい気がする。
フランシスコ教皇は今までのローマ法王の中で庶民的であると言われている。ローマ法王に選ばれて初の会見時に「私は貧しい人々による貧しい人々のための教会を望む」と語ったたことを覚えている人もいるかも知れない。
「フランシスコ教皇が今の姿であるのは、アルゼンチン時代があったからこそ」なのだと思う。独裁政権のアルゼンチンで苦しむ人達の姿を目の当たりにしてきたからこそ、そう言った人達に目を向けるのだろうなぁ。
……とは言うものの題名に「ローマ法王」って単語が入っているのだから、もう少しキリスト教的な内容を盛り込んでも良かった気がする。主人公をはじめ、神のことや信仰のことを口にする登場人物がほとんどいないのには驚かされた。
信仰を持たない日本人の私にとって「正直、微妙…」としか言いようのない作品だけど、信仰を持つ人が観たら違った感想になるのかな…とは思った。