『センセイの鞄』は売れることを見越して作られた作品だなぁ~というのが、正直な印象。
むろん、私は「売れる本」が嫌いな訳ではない。
本というのはやはり沢山の人に愛されてこそ……のものだと思っているので。
ちなみに現在の日本の消費を支えているのは20代後半以降の「働く独身女性」だと言われているが、この作品のターゲットは、まさにドン・ピシャリだったりする。
センセイの鞄
センセイ。わたしは呼びかけた。少し離れたところから、静かに呼びかけた。
ツキコさん。センセイは答えた。わたしの名前だけを、ただ口にした。
駅前の居酒屋で高校の恩師・松本春綱先生と、十数年ぶりに再会したツキコさん。以来、憎まれ口をたたき合いながらセンセイと肴をつつき、酒をたしなみ、キノコ狩や花見、あるいは列車と船を乗り継ぎ、島へと出かけた。
その島でセンセイに案内されたのは、小さな墓地だった――。
アマゾンより引用
感想
37歳の独身女性ツキコと、ツキコの高校教師だったセンセイがゆるやかに情交を深めていく……という物語である。
いちおう「恋愛小説」になるのかも知れないが私としては、これを「恋愛小説」に分類するのには少し抵抗がある。
もしも、私が、この作品にキャッチコピーをつけるなら「枯葉色のハーレ・クインロマンス」としたいところだ。そうでなければ「働く独身女性へ捧げる鎮魂歌」くらいが適当だろうか。
センセイとツキコが親子以上に年が離れているから、とても「恋愛小説」とは思えない…という訳ではない。
この小説で描かれているのは恋愛ではなく「恋愛ごっこ」だ。
あまりにも「女性にとって都合の良過ぎる」シュチュエーションであり恋愛に限らずとも「人間が2人」になった時点で必ず発生する漠とした葛藤のようなものを、小気味良く、すっ飛ばして描いてあるので、どうしても「絵空ごと」という印象を受けてしまうのだ。
センセイはツキコさんの良いところも悪いところも受け入れてくれて、なおかつ、センセイは彼女を「お嬢さん扱い」してくれる。
そしてセンセイはどこまでも上品で、小僧っ子のようにキレたりしない。
「ツキコさん、デートをいたしましょう」
センセイの言葉は、美しく、率直で、それでいていつも直球勝負である。
それは、どこか宝塚歌劇のセリフまわしと深く通じるところがあるのだが「老人」という点において、一歩センセイがリードというところだろうか。
この作品が多くの人々から「美しい物語だ」との評価を受けたその秘密は作者の筆力に支えられたものだろう。
私自身「働く独身女性」なので、この1冊を読んで思うことは色々あった。
この1冊を、あくまでも「和製・ハーレクインロマンス」と楽しめるのならば、それはそれで素晴らしいと思うのだが、溺れてしまうのであれば問題アリかな……と思ったりした。
漫画やハーレクイン・ロマンスだけが夢物語の世界ではない。
「文学」と呼ばれるジャンルにだって夢物語は存在するのだと再確認した1冊だった。
それなのに「文学」だと高尚で「ハーレクイン」だと子供だまし……ってな世間的評価の傾向には、やや不満があったりする。