ある日突然、自分のもとに強力な爆弾が送られてきたらどうするだろう?
悪い事と知っていても「使ってみたい」と思ってしまうのではないだろうか?この作品は、ある人物から、何人もの人間に爆弾が届けられるところから始まる。
結果的なことを書いてしまうと、警察に届けて使わない人間もいれば好奇心や、あるいは悪意でもって使ってしまう人間もいた。
主人公は元マラソン選手の女性で「使わなかった人間」だった。
小説の筋としては、それほど面白いとも思わなかったのだが清廉潔白な主人公が、やけに印象的だった。ひと言で言うなら、正し過ぎる……というところだろうか。
「人として生きるならば、かくありたい」と思いはするものの一片の見返りも求めず、正しく進んでいく主人公の姿は痛々しくさえあった。
「幸せの定義」というのは、ひどく曖昧なものだ。
もしかすると、そんな風に生きるのが主人公にとって幸せだったのかも知れない。しかし私は自分で努力して勝ち得たものだけを信じて、華やかなことに見向きもせず、ただひたすらに、まっとうに生きるのを心から幸せと思える人が私の近くにいたとすれば、あまり友人にはしたくないように思う。
嫌いとか言うレベルでなくて、なんとなく、胡散臭くて気味が悪いような気がする。
「ホラー文庫」という性質上、怖いという感情が作品の中枢だと思うのだがストーリーよりも、主人公の人間性が怖いように思えてしまった。
あれは作者が理想とする人間像、あるいは女性像なのだろうか?
「良い人間」と「悪い人間」がキッパリと分けて描かれていたというのに読後感は非常に悪くて、良い人間なんて1人もいないような気さえした。「正しければ良いってものではないでしょう?」と思ったりして。私には、いまいち理解できないタイプの1冊だった。
自由殺人 大石圭 角川ホラー文庫