淡々と面白かった。独身の中年女性を描かせたら、稲葉真弓の右に出る人はいないんじゃないかと思う。
稲葉真弓の作品は面白くて、ちょっと怖い。私にとって稲葉真弓の描く女性達は、仲間でもあり自分の未来像でもある。
孤独な世界に目を背けたくなったり、憧れてみたり。予想だにつかない自分の20年後、30年後を嫌がおうでも考えさせられてしまう。
午後の蜜箱
しんと静まった闇の中に、五十数年生きている真琴とほんの少しだけ若い私がいて、しかし私たちは少しも自分のことがわからないのだ。
男と出会って一緒に暮らしたりささいなことで別れたり、やっぱり一人がいいと言ってみたり、一方ではどこか別の場所で生きることを夢みたり。
そのわからない自分の姿を、もし見られるものなら見たいという真琴の願いが私にもすんなりとわかるのだ。――(本文より)
アマゾンより引用
感想
今回は中篇が3つ。どれも、それぞれに味わいがあって良かったが、印象的だったのは表題作。
主人公達の生き様よりも、むしろ1人ぼっちで死んだ雑貨屋の老婆について考えずにはいられなかった。
1人っきりで死ぬって、どんな気持ちだったのだろう。
第三者が端で、あれやこれや想像するほど特別なことでは無かったのかも知れないし、自分を愛してくれる家族に看取られたところで、結局のところ「死」とは極めて個人的な出来事だ。
周りに誰がいようが、いまいが、そう大したことではないのかも知れないが「もしも、自分が」という考えを当てはめるとき、1人ぼっちで死んでいった老婆の死は、鮮やか過ぎて吐き気を催す。
「先のことなんて分からないけれど、たぶん夫(妻)か子供が看取ってくれるんだろう」という立場の人が読むと、どう感じるのだろうなぁ……ちょっと聞いてみたいような気がする。
稲葉真弓の作品からは、いつも「あなた1人ぼっちなのよ」というメッセージが込められているような気がする。人はどこまでも分かり合えないという事実を突きつけられているような気がする。
それなのに何故だか読後感は悪くない。
孤独という絶望感に打ちひしがれることなく、孤独を飼いならしていこうとする姿勢が見て取れるからかも知れない。
結局のところ、そういう問題は自分の中で折り合いをつけて、自分で処理していくしかないのだなぁ……と思わされた1冊だった。