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昭和の子どもの暇時間。

どうにかこうにか8月に突入して、夏休みも3分の1が過ぎた。

娘は充実した夏休みを過ごしている。学校のプールの自由登校に参加したり。市が主催する小学生講座を受けたり、短期スイングスクールに通ったり。お友達を自宅に招いて遊んだり。家族で使うカレンダーには娘の予定がビッシリと予定が書き込まれていて、仕事の出来るビジネスマンの予定表を見ているようだ。

私は……と言えば娘に付き合うだけで、イッパイイッパイで自分の事は何1つ出来ていない。

毎日続けいたカーヴィダンスもビリーズブートキャンプも手を付けていないし『大人の基礎英語』も放置状態。PC内職もほとんど作業していない。

PC内職については夏休みに入るまでに、何1つ作業しなくても大丈夫なように仕込みはしてあるけれど、夏休みに入るまでは「まぁ、これは保険のようなもの。娘も成長して手が掛からなくなったから案外作業出来るかもね」なんて思っていた。保険どころか仕込みが無ければ大爆死するところだった。

娘は日記と毎日しなければならない生活カード以外の宿題を早々に仕上げてしまったので、実に伸び伸びと夏休みを満喫している。娘を見ていると「自分の頃の夏休みもこんなに充実していたっけ?」と言う思いが頭をもたげた。

現在43歳の私が子どもの頃の夏休みは午前中は『夏休み子どもアニメ劇場』なんてのがあって、午前中は宿題もそこそこにテレビに釘付けだった。

ラジオ体操やプール登校はあったけれど、それ以外はけっこう暇を持て余していたように思う。子どもの数は多かったから、友達とブラブラしていたのだろうか。まぁ、何にせよ「暇だなぁ」って日もけっこうあった。

「今の子は恵まれているなぁ」と思う反面、昔の子ほど自由がないのは可哀想に思う。昭和の子どもは放し飼いされているも同然だった。

習い事の送迎制度なんて無かったし、友達と遊ぶにしても「アポ無し突撃」が当たり前だった。心情的な部分では、娘をもっと伸び伸び育ててやりたいのだけど今の御時世に昭和の価値観を持ってくるのは色々な意味で危険過ぎて不可能だ。

私が子どもの頃の夏休みは今の子よりもずっと暇を持て余していたけれど、それでも「楽しかったなぁ」という気持ちの方が強く残っているから不思議だ。学校に行かなくてもいい自由な時間が沢山あるってだけで夏休みは特別だったのだ。

日本人の大人には自由な時間が足りなさ過ぎる。

毎日忙しく精力的に活動するのは素晴らしいけれど「暇だなぁ…これと言ってする事もないなぁ」と無為に過ごすって、リア充でいるよりもある意味贅沢なことだと思う。

子どもの頃の夏休み……私は贅沢な時間を過ごしていたのだ。そんな事を考えていたら鼻の頭がツンときた。

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日記
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白い木蓮の花の下で
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