『ボレロ 永遠の旋律』はフランスの作曲家ラベルによる不朽の名曲「ボレロ」の誕生秘話を描いた音楽映画。
ラベルが作曲した『ボレロ』は誰もが知っている名曲。クラッシックが好きじゃない人でも1度は耳にしたことがあると思う。同じメロディーを17回繰り返す…と言う独特の手法で「なんかよく分からないけど耳に残る曲」とか「聞いたことあるし、まあまあ好き」くらいに認識している人が多い気がする。
私はラベルの曲が好きだけど、だからってクラッシックに詳しい…ってほどじゃない。
ラベルの人となりなどは全く知らない状態で『ボレロ 永遠の旋律』を劇場で観た。正直「お盆休み中に観る映画としては良いかな。音楽物なら家で観るより音響の良い劇場で観る方がいいよね」くらいの認識。
ふんわりと「きっと不遇な作曲家が名曲を書いて拍手喝采…みたいな話なんだろうな」と予想していたのだけど、予想とはまったく違う方向の鬱作品だった。
ボレロ 永遠の旋律
ボレロ 永遠の旋律 | |
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Bolero | |
監督 | アンヌ・フォンテーヌ |
脚本 | アンヌ・フォンテーヌ他 |
原案 | マルセル・マルナ |
出演者 | ラファエル・ペルソナ ドリア・ティリエ ジャンヌ・バリバール |
音楽 | ブリュノ・クーレ |
公開 | 日本 2024年8月9日 |
上映時間 | 121分 |
あらすじ
1928年・パリ。戦後の狂乱の中、音楽家のモーリス・ラヴェルは深刻なスランプに陥っていた。ダンサーのイダ・ルビンシュタインからバレエ音楽を依頼されていたが、1音も書けない状態だった。
ラベルは閃きを求めて戦争の痛みやかなわぬ恋、母との別離など自身の過去を思い出しながら試行錯誤を重ね、後にラベルの最高傑作とも称される名曲「ボレロ」を完成させる。
しかし自身のすべてを注ぎ込んで作り上げたこの曲にラベルの人生は侵食されていき…
残念な男前
芸術家とか天才と呼ばれる人間って総じてクズが多い。人間的なリソースを才能に全振りしちゃってるのだと私は思っているけれど『ボレロ 永遠の旋律』の主人公、ラベルも人間のリソースを才能に全振りしちゃってるタイプ。めちゃくちゃ不器用だし、忘れ物しちゃうし、人付き合いだって上手ではない。
……だけどラベルは超天才。ずっと音楽のことを考えていて生涯独身を貫いている。童話作家のアンデルセンとちょっとかぶるような雰囲気。ただアンデルセンとラベルが決定的に違うのはアンデルセンは非モテ男性だったけれど、ラベルは猛烈に男前で女心をくすぐるタイプだった…ってこと。映画を観た後でラベルのことを調べてみたれけれど、実際のラベルもめちゃくちゃ男前だった。
「あんなに男前なら女性なんてよりどりみどり」と思うのだけど、ラベルは残念な男前なので女性関係どころか生きるのが下手くそ。観ていて、いちいちイライラさせられてしまった。でもそんなラベルを演じた役者(ラファエル・ペルソナ)は凄いと思った。行き過ぎない静かな演技だけど、それでもラベルの残念感は伝わってきた。
おフランス情緒爆発
さて。主人公のラベルは残念な男前なのだけど、男前ゆえに支えてくれる女性がいた。彼女達は彼の容姿だったり才能だったりに惹かれていたのか、畜生な行動をしてしまいがちなラベルにも根気よく付き合ってくれている。
ラベルを囲む女達は決して若い女性などではなく、成熟した女ばかり。気だるい雰囲気のフランス映画に登場するヒロインさながらに熟れた演技を見せてくれた。ハリウッド系の映画では観られない情緒。「流石はおフランス映画!」と感心してしまった。
流石はフランス!『エマニエル夫人』を世に送り出した実力はいまだ健在。他の追随を許さないぜ。
名曲『ボレロ』のための映画
『ボレロ 永遠の旋律』はものすごく観難い構成になっている。ラベルの記憶と「ボレロ」を生み出す過程が行ったり来たりするのだ。
「ボレロ」は同じ旋律を17回繰り返す構成になっているので、そこを意識してラベルの記憶と現在を行ったり来たりさせていたのだと思う。これは名曲「ボレロ」を解説するための映画なのだと思えば、なんだか観難い構成もなるほど納得。
だけど、観ていてつくづくキツかった。そもそもラベルの人生は苦悩に次ぐ苦悩。音楽を愛しつつも音楽に苛まれる人生。恋愛も音楽も上手くいかないのに、それでも恋愛や音楽を求めつつ音楽の完成を目指すとか酷過ぎる。
なので『ボレロ 永遠の旋律』は鬱映画耐性のある映画好きにしかオススメ出来ない。気楽な気持ちで観ると嫌な気分になること請け合い。
バレエ音楽(ダンス音楽)としてのボレロ
ラベルについての知識がなくて映画を観た私が感心したのは「バレエの『ボレロ』は初演時から円形舞台に乗っかって踊る設定だった」ってこと。
最近だとギエムが踊った『ボレロ』の舞台が有名だけど『ボレロ』はバレエだけでなく他のジャンルのダンスで使われている。
バレエ以外の舞台の演出でも圧倒的に赤い円形舞台が使われることが多い。「ラベル=ボレロ=円形演出」は世の中の鉄板常識になっているんだろうか?
そのあたりの事はダンスに詳しくないので真偽のほどは定かではないけど、少なくとも私の中でのボレロは「赤い円形の台の上で踊ってる」って印象が強かったので、初演でイダ・ルビンシュタインが赤い台の上でエロティックに踊っているシーンは「おおっ。今と同じだ」と感心してしまった。
ちなみに映画の中のラベルはエロティックな演出が気にいらなくてダンサーのイダ・ルビンシュタインに切れ散らかしている。
最終的にラベルは周囲の称賛があったり恋人からなだめられて気持ちを収めていたけれど、ラベル本人が自分の作った音楽を踊るにあたって、あの演出が気に入っていたのかどうかはよく分からない。
一緒に観た夫の斜め上の感想
さて。蛇足でしかないけれど私のためにどうしても記録しておきたいことを書き記しておく。
私と一緒に映画を観た夫は「クズでも男前だったら支えてくれる人がいるんだよなぁ」と、なんだか映画の本質とはかけ離れて感想を言っていて笑ってしまった。
安心して欲しい。現代日本には美男美女じゃなくても、ラベルのように特別な才能がなくても、まともに生きてない人を支えてくれるシステムがあるから。それが社会福祉ってものだ。
そこそこの先進国には福祉制度があるので、ラベルのような生活皆無の人でもちゃんと生きている。それでこそ人間の社会なんだよ。
感情を乱される素晴らしい鬱映画
私は2024年のお盆休みに『ボレロ 永遠の旋律』を観たのだけれど、観終わった後に「何を好き好んでこんなにシンドイ映画観に来たんだろう?」って気持ちに襲われた。
とにかく観た後はなんかシンドイくてモヤモヤした。だけど駄作だった訳じゃないし色々語りたくなる作品だったのだ。感情を乱される素晴らしい鬱映画だったことに間違いない。
そしてやっぱりラベルのボレロは名曲だと思うし、映画観た後はボレロを聞きたくなること請け合い。音楽が好きで鬱映画耐性のある方にオススメしたい。