『ルックバック』は大人気漫画『チェンソーマン』の作者、藤本タツキが描いた短編漫画をアニメ映画化した作品。漫画が発表された時もかなり話題になっていて、私はリアルタイムで読んでいた。
実のところ「原作を読んでいるから観に行かなくてもいいかな」くらいに思っていのだけれど、あまりにも巷の評判が良いので劇場で観てみることにした。
その結果…物語の展開を全部知っていたのにめちゃくちゃ泣いた。
今回はネタバレ込みの感想です。あらすじには展開を全部書いています。くれぐれもネタバレNGの方はご遠慮ください。
ルックバック
ルックバック | |
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監督 | 押山清高 |
脚本 | 押山清高 |
原作 | 藤本タツキ |
出演者 | 河合優実 吉田美月喜 |
音楽 | haruka nakamura |
主題歌 | 「Light song」by haruka nakamura うた : urara |
公開 | 日本 2024年6月28日 |
上映時間 | 58分 |
あらすじ
小学4年生の藤野は学年新聞で4コマ漫画を毎週連載していたが、ある日教師から京本の漫画を掲載したいため、藤野の連載している内の1枠を譲って欲しいと告げられる。
藤野は不登校児である京本を見下していたが、京本の画力は高く掲載された京本の漫画は周囲の児童からも称賛された。そればかりか藤野の絵は普通だと掌を返されてしまう。
藤野は屈辱を覚えながら絵の本格的な練習をはじめる。友人や家族関係にも軋轢を生みながらも努力を重ねるのだが、藤野は京本の画力には届かなかった。そして藤野は3年生の時から続けた連載を6年生の途中で辞めてペンを折る。
小学校の卒業式の日。教師から卒業証書を届けるよう頼まれた藤野は、この日初めて対面する。そして京本から「ずっと藤野のファンだった」と告げられる。
京本の言葉で再び漫画を描き始めた藤野は京本に漫画のネームを読んでもらうようになる。やがて京本が作画に加わり、2人は藤野キョウというペンネームで漫画賞の受賞を目指した漫画の創作を始める。
13歳で応募した作品が準入選となり、17歳までに7本の読み切りを掲載。アマチュアの漫画家として成功を収める2人であったが、高校卒業に際して2人の進路は分かれ、京本は山形市にある美術大学へ進学し、藤野は1人で漫画雑誌での連載を開始してプロの漫画家になる。
コンビ解消後も藤野は順調に連載を続け、藤野の漫画は既刊11巻でアニメ化するまでになる。そんな藤野にとあるニュースが飛び込んでくる。
山形の美術大学に精神的にな不審者が侵入して12人の学生を殺害する。京本はその最初の犠牲者だった。藤野は京本の死の原因が外の世界に彼女を導いた自分自身ではないかと苦悩する。
この事件をきっかけに物語は2つに枝分かれする。1つは「京本が死亡した本来の世界」、そしてもう1つは「小学生時代に漫画をやめた藤野が京本と出会わず、京本は自力で不登校を脱して美術大学へ進学した京本を凶行から救う。そして漫画を描き始める」という「存在したかもしれない世界」だった。そして…
53分一律料金
今回『ルックバック』は公開前から話題になっていた。アニメ映画にしては短い53分という上映時間と、一律料金1700円と言う設定。
一般的な映画は大人料金で2000円なので「尺が短いので1700円にします」って事らしいのだけど、学生割引やシニア割引等の各種割引は使えず「この作品を観るなら全員1700円払ってください」ってこと。
これには批判もあったけれど個人的には「良いのでは?」と思っている。53分で1700円を支払う価値がある…と思った人だけ観れば良いのだ。それが嫌ならテレビ地上波で放送されるまで待てば良い話でわざわざ映画館で観なくても良い。
そして私は『ルックバック』を観て53分1700円は高くないと感じた。
原作を大事にしたアニメ映画
最近のアニメーションの技術の進化は凄まじいものがある。「ぬるぬる動く」なんて言葉通り、キャラクターの動きが滑らかだし、背景などの透明感も凄い。
ところが『ルックバック』はキラキラしたアニメーションではなく、原作の絵と雰囲気を尊重した作りになっていた。「原作そのままの状態なら漫画で良いのでは?」って話だけれど、そうじゃない。
アニメーション映画は漫画では不可能ことを実現できる。キャラクターが喋って動いて音楽がある。間の取り方も漫画とアニメーションでは全然違う。
原作の良さを生かしつつ、さらに別の要素(音楽とか声とか)を加えた素晴らしい作品に仕上がっていた。
刺さる人には刺さる物語
『ルックバック』は漫画を描いたことのある人なら刺さる話だ…言われていたけれど、漫画に限定しなくても、何か創作活動をしたことのある人ならどこかしら感じるものがあると思う。
私自身、友人と同人誌を作っていたことがある。私と友人は藤野と京本のように才能が無かったので、あくまでも同人誌止まりではあったけれど、映画館のスクリーンに私は当時の私と友人の姿を見た。
何かを作るのが楽しくて仕方がない…と言う感覚は理屈じゃない。
藤野と京本の情熱と楽し過ぎる濃密な時間は漫画を描いたことのある人、同人誌を作ったことのある人、何か創作活動をしたことのある人なら「分かる~」と身悶えてしまうと思う。複数人で何かを作っていた経験があるなら、さらに。
京都アニメーション事件とルックバック
さて。『ルックバック』は京都アニメーションの放火殺人事件と重なる部分があり、漫画公開時も、ひと悶着あった。
原作者の藤本タツキがどういう思いを持って、京都アニメーションの放火殺人事件を彷彿とさせる描写をしたのかは分からないけれど、少なくともモデルにしたのは間違いないと思う。ただ、無敵の人が無差別殺人をする…と言う事件は京都アニメーションの放火殺人事件意外にも多数発生しているので物語の展開としてはアリだと思った。
ただ「盗作云々…でなくても良かったのかな?」とは思った。
結局のところ物語のラストにおいて、理不尽な形で京本に死んでもらう必要があったから、ああなったんだろうな…も思う。漫画がテーマの作品で美術大学に進んだ京本が理不尽に死ぬ展開にするなら…そしてなおかつ藤本が苦しむ展開にするなら仕方なかったのかもな…と。
藤野の後悔と京本の幸せ
京本が死んでから藤野は「もし自分が京本を外の世界に連れ出さなければ京本は死ななかったのではないか?」と言う思いに駆られて漫画を描けなくなってしまう。「自分が藤野を死なせたのではないか?」と。
……この展開は泣く。観てる側からすると「違うよ藤野。京本はむしろ藤野に生きることを教えてもらったんだよ」と思って泣いてしまう。
不登校で自室から出ることができなかった京本を連れ出したのは藤野と漫画だった。そして京本は藤野や漫画と出会うことで生きる幸せを知ったのだ。京本が志半ばで死んでしまったのは残念過ぎるけれど、京本と藤野は出会うべくして出会ったのだと私は思う。
京本が死なない世界線
それにしても「おい、ちょっと待てよ」と思わず突っ込んでしまったのは、唐突に「京本が死なない世界線」が突っ込まれる展開。
観ている人間(漫画なら読者)は「京本は死んだ。これは嘘の世界むと明確に分かっているのだ。それなのに「あえて」希望を持たせるような描写をして、哀しい現実に叩き落とす藤本タツキは性格が悪いよなぁ~と笑ってしまう。
もっとも京本が死なない世界線と現実が繋がることで藤野が救われているので、必要な流れだった…言えばそうなのだけど、別の方法でも充分に表現できたと思う。
一瞬、喜ばせておいて突き落としていくスタイル…流石は『チェンソーマン』の作者だと感心した。
思うがままに感想を書き殴ってしまったけれど『ルックバック』は、ある種の人にはめちゃくちゃ刺さるアニ映画だと思うし、私はめちゃくちゃ泣かされた。
ツッコミどころもあるけれど素晴らしいアニメ映画だと思う。