2024年7月7日。宝塚大劇場で『ベルサイユのばら~フェルゼン編~』を観劇してきた。
宝塚歌劇において『ベルサイユのばら』は古典と言っても良い類の作品なのでネタバレも何もあったものではない…と言えばそうなのだけど、この感想は演出上のネタバレを含むので観劇予定の方で「真っ白な気持ちで観劇したい」って方はご遠慮ください。
「ネタバレ上等。ネタバレ喰らっても美味しく戴けます」ってタイプの方か、もしくは「観劇予定はないけど興味あります」って方はお付き合いください。
なお私はヲタクで宝塚歌劇を愛しているものの、ガチガチの宝塚ファンではないのでヅカ用語は使いませし愛称で呼んだりもしません。
スターは敬称略が礼儀…と考えているので「さん付け」表記はしませんのでご容赦ください。(もちろんご本人と対面で話をする機会があれば『さん』付けでお呼びします)
ベルサイユのばら~フェルゼン編~感想
ベルサイユのばら~フェルゼン編(2024年雪組)2024年の『ベルサイユのばら~フェルゼン編』のチケット入手は異常なほどに苦戦を強いられた。それは様々な理由が重なったから。
- 宝塚歌劇110周年公演だった
- 『ベルサイユのばら』50周年公演でもある
- 『ベルサイユのばら』は10年に1回程度しか公演しない演目
- 雪組トップ彩風咲奈のサヨナラ公演である
これらがどういう事を意味するのか…と言いますとですね。「めちゃくちゃ気合の入った豪華な舞台が期待される」ってことなんですよお嬢様!
宝塚素人の私が…『ベルサイユのばら』のチケット取るためだけに宝塚友の会に入会したようなド素人の私が舞台を生で観劇できるだけでも僥倖…そんな思いを胸に、いざ宝塚大劇場へ!
ごらんなさい~ごらんなさい~
私がゲット出来たのはA席。1階の最後列の真ん中あたり。正直なところ「もう少し前で観たかったな」と思ったけれど、高機能のオペラグラスも用意しているし、舞台全体を観るのであれば悪くない席ではあった。
『ベルサイユのばら』と言うと「♪ごらんなさい~ごらんなさい~ベルサイユのばら~」って歌からはじまる訳だけど、もうこの歌がはじまった瞬間にワクワク感が高まったよね。
今回のベルばらは最初のポスターからしてピンクが基調になっていたけれど、ピンク多めの舞台構成はめちゃくちゃ可愛くてテンションが上がった。
全編通して2006年に公開されたソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』の世界観と似ているなぁ~と感じた。ポップで可愛くてフワフワした感じ。最近の言葉で言うなら「夢かわいい」って感じ。
出会いの場面
フェルゼンとマリー・アントワネットの出会いの場面から物語本編がスタートするのだけど、フェルゼンを演じた彩風咲奈のカッコ良さは半端なかった。足が長くて背中が綺麗。正統派美男子フェルゼンそのものだった。
『ベルサイユのばら』はフェルゼンとオスカルが2大主人公なのだけど、生意気な青二才のオスカルとは対象的にフェルゼン正統派美男子の貴公子…って役どころ。いや~マジ貴公子でした。もうね…肖像画から抜け出てきたような美しさ。
そしてアントワネット様ですよ!
今回のベルばらはピンク基調の衣装が多いのだけど、あえて伝統的な赤いドレスを突っ込んできたのが印象的だった。伝統的な衣装も新しい衣装もどちらも素敵。美貌のマリー・アントワネット様…お流石です。
行けフェルゼン!
私は宝塚歌劇が大好きだけど、宝塚歌劇の中には一般人には受け入れ難いような謎演出とか謎装置が導入されることがある。私はそれを「宝塚税」と呼んでいるのだけど、今回の公演で心配だったのはスウェーデンに帰国したフェルゼンがフランスに戻る際に歌われる「駆けろペガサスの如く」の場面。
歌詞はこんな感じ(一部のみ)
駆けろ 駆けろ 大空を行く
ペガサスの如く 掛けていけ
何年度版の公演だったのかは忘れてしまったけれど、オスカルがメリーゴーランドの馬みたいなのに跨がった場面があって、あまりの滑稽さに真顔になってしまったことがあるのだけれど、今回も「まさかフェルゼンが作り物の馬とかペガサスに乗らないよね?」と心配していた。
安心してください…フェルゼン。馬車に乗っていました。
その馬車も変ちくりんじゃなくて、フェルゼンが馬車を操っている想定だった。トップスター、彩風咲奈の長い足と美しいスタイルが強調される振り付けで、歌を堪能することが出来た。ありがとう…ありがとう。マジで良い場面だった。
ジャンヌの好演とジェローデル
さて。今回は首飾り事件でおなじみのジャンヌが登場する。
ジャンヌは漫画版の『ベルサイユのばら』では重要キャラクターだけど、宝塚版ではカットされることもある配役。「あえて今回登場するのはどうなんだろう?」って思っていたけど、ジャンヌ役の娘役さん(音彩結)めちゃくちゃ良かった。
顔も可愛いし演技もお上手。私の好みの娘役さんで、今後の活躍が楽しみ過ぎる。「もしかして、彼女のためにジャンヌを復活させたのか?」と邪推してしまうほど。
そして脇役だけどジェローデル(諏訪さき)も良かった。同行した友人が「トップが素敵なのは当然として…私、ジェローデルに釘付けだったわ」と語っていて存在感半端なかった。
宝塚歌劇はトップスターが卒業しても、こうやって次々と次世代のスターを育てていくのだなぁ~と改めて感じた。
オスカルとアンドレ
今回は『ベルサイユのばら』と言ってもフェルゼン編なので、オスカルのエピソードはガッツリとは入ってこなかったけれど、それでも押さえるところは押さえている感じだった。
オスカルは清々しい青二才だったし、ヤンデレ界総帥のアンドレも素敵なヤンデレだった。オスカルはフェルゼンより出過ぎない感じでバランス良く演じていた印象。
オスカルとアンドレが心通じて結ばれる場面でのアンドレの名台詞「見果てぬ夢よ 永遠に凍りつき セピア色の化石ともなれ」が無かったのだけは無念だったけれど、フェルゼン編なので諦めるしかない。
断頭台のマリー・アントワネット
さて物語が佳境に入り後半は不幸の連続。誰もが知っていると通り、マリー・アントワネットは断頭台の露と消える訳だけど、このあたりは丁寧に描かれていて良かった。
白髪のマリー・アントワネットも断頭台にのぼる時に髪を切られていたところもちゃんと描写されていた。最高に良かったのは最後の断頭台の場面。
真っ黒な舞台の中に浮かび上がった断頭台をマリー・アントワネットがゆっくりと進んでいくところでは涙が滲んでしまった。
確かに彼女は立派な王妃とは言えなかったけれど、様々な経験をすることで王妃として、母として自覚していく。もう少し早く賢さを発揮できたら良かったのだろうけど、何かもが遅かったよね…とマリー・アントワネット涙ながらに見送った。
そしてフィナーレへ
マリー・アントワネットが断頭台に消えたところで本編終了。余韻に浸る間もなくフィナーレに突入。
そこで登場するのが頭に赤い薔薇のかぶりものをしたラインダンス(ロケット)の皆様。もう涙が引っ込んで真顔になってしまったよね。
分かる…宝塚歌劇はそういう物だってことは理解してる…だけど頭に赤い薔薇乗っける必要あった? さっきまでのシミジミした気持ちを返して欲しい。
……とは思ったものの、宝塚歌劇を観劇する人間は「宝塚税」として受け入れ難い演出も受け入れるしかない。さっきまでの余韻は吹っ飛んでしまったけれど、気持ちを切り替えてショーを楽しませてもらった。
なんだかんだ言って羽を背負ったトップが大階段を降りてきたら「まぁ、いいか」と思ってしまうのが宝塚歌劇の魔法ってヤツ。
セラビ・アデュー
さて。今回の公演はトップスター彩風咲奈のサヨナラ公演。純白の衣装に身を包んでのダンスは圧巻だった。「雪組のトップだから雪イメージした衣装なのかな~」と思いつつ見惚れてしまう。
そして恐らく彩風咲奈のために作られたであろう新曲『セラビ・アデュー』は本編でも歌われたけれどショーでも使われていた。
最高にグッと来たのは銀橋に立った彩風咲奈が客席に背中を向けて、舞台にいる雪組の人達の方を向いた瞬間があった…ってこと。
セラビ・アデュー セラビ・アデュー
私の中にあなたは生き続ける
……こんなん…泣くやん。泣くしかないやん。苦楽を共にしてきた仲間がトップに捧げる花道とか。宝塚ガチ勢ではない私でさえ、その心中を思ってグッときてしまった。
客席に降りてくるタイミング
チケットを取るのに四苦八苦した『ベルサイユのばら』は大満足だった。
しかし、それでも私は途中まで「ああ…もう少ししっかり観たかった。2階でもいいからバッチリ観えるS席で観劇したかった」と思っていたのだけれど、1幕の終わりに「この席で良かった!神様ありがとう!」と思った。
1幕の終わりにフェルゼンが客席に降りてくるのだ。もう1階の観客席は「きゃぁぁぁ~」ってなったよね。なんだろう…降りてきてくれて近寄ってくれる感覚の陶酔感は異常。同行した友人は「チケット取ってくれてありがとう…足向けて眠れん」と感激していた。
客席に降りてきてくれる演出があると1階席は単純に盛り上がる。トップスターなら、その興奮半端ない。
ああ…最後列でも1階で良かった…とチケットの神様に感謝した私だったけれど、さらに素敵な演出があった。
最後のショーの時にはかなりの人数が舞台から降りてきてくれて手拍子を先導してくれるのだ。通路に直接接している席の人は感激なんてものではない。みんなで彩風咲奈を送り出そう…感謝を伝えよう感が凄かった。
……と。こんな感じで、2024年の『ベルサイユのばら(フェルゼン編)雪組公演』を満喫してきた。
やはりベルばらは至高。頑張ってチケット取って良かった。ありがとう…そしてありがとう。10年後も元気に生きていたら全力を尽くして観に行きたい。
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