夫にマルタとマリアの話(ルカによる福音書10章38~42節)をしてから、夫は何かにつけてマルタの話を引き合いに出して私を茶化してくる。
先日も夫が「そりゃあ怒るのも仕方ないよなぁ。マルタ?」と私の顔を見てニヤニヤするのを見た娘が「それ、何の話?」と聞いてきたため、娘にも新約聖書の「ルカによる福音書10章38~42節」を説明した。
神妙な顔をして聞いていた娘は「分かる。そりゃあ腹立つよね」と言い、さらに「まぁ、でもイエスがマリアのことをチヤホヤするのは当たり前じゃない? だって人間は自分の都合の良い人の方が好きに決まってるからね。黙って自分の話を聞いてくれるマリアの方が都合が良かったんだろうね。まぁ…マルタは気の毒とは思うけどね」と言った。
人間は自分の都合の良い人の方が好きに決まってる
娘の言葉に私は崩れ落ちそうになった。
その発想は無かったよね!!! イエスはしょせん人間だなんて1ミリも考えたこと無かった!
私が新約聖書の「ルカによる福音書10章38~42節」を初めて知ったのは10歳。『トンデラハウスの大冒険』と言うイエス・キリストの生涯を描いたアニメ番組だった。まだ純真だった私は「イエスは神様の子どもである」と言う概念を素直に受け入れていて「イエスの言葉は絶対」だったしイエスが人間であるなんて思ってもいなかった。だからこそイエスにマルタが否定されて猛烈にムカついたのだ。
娘の意見はこんな感じ
- イエス・キリストは実在したとは思う
- イエス・キリストは宗教者だったと思うけどしょせん人間でしょ?
- 人間は間違える生き物である
- そもそもキリスト教が正しいなら世界はキリスト教が支配してるはず
マルタとマリアの話をした時、夫は小乗仏教云々の話をしたけれど、夫はなんだかんだ言って子どもの頃にYMCAでキリスト教に触れている。なので夫も「イエス=人間」と言う発想はなかった。
「人は自分の話を黙って聞いてくれる人が好き」ってのはホントそれ過ぎる。マルチ商法とか新興宗教などの勧誘も素直な人が喜ばれるよなぁ。自分にとって語の良い人の方が楽ちんだから、そういう人を尊重するよなぁ…と、思わず遠い目になってしまった。
マルタが卑屈になる必要は無かったのだ。マルタが怒るのは当たり前のこと。だけどイエスが悪いとも言えない。だってイエスにとっての都合の良い女はマルタではなくマリアだったのだから。
娘の話を聞いて私の中のマルタが成仏した。
私と娘は色々な意味で真逆の人間。私は文化系で娘は体育会系。私は文系人間だけど娘は理系人間。私はドラマティックな恋愛小説が好きだけど、娘は身近な幸せ系の恋愛小説が好き。話をしていて「母娘でバンド組んでたら方向性の違いで解散するしかないよね」と言い合うくらいに。色々と違うのだけど、だからこそ娘の発想は面白い。
ありがとう。娘。あなたのおかげで私の中のマルタが成仏した。娘は「お母さんの役に立てて良かったよ」と笑っていた。
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