読んだ本の『50音別作家一覧』はこちらから>>

子育てをしていて感じる理解不能な感覚。

記事内に広告が含まれています。

私。お腹に子どもが宿ったと知った時「できれば男の子がいいな」と思った。私は自分の母親が嫌いなので「もし同性の子どもだったら愛せるかどうか分からないし、娘から嫌われる親になたりくない」と思っていた。

そして生まれてきた子は女の子だった。

「同性の子どもを同族嫌悪してしまうのではないかしら?」と心配していたけれど、実際に子育てをはじめてみて、そんな心配は不要だった…ってことに気がついた。

子どもは同性とか異性とかに関わらず、自分のコピーではないのだ。自分とはまったく違う生き物なので子どもに「同族感」を見出す事は難しい。

例えば…病気に対する受け止め方の話。

私は子どもの頃に大病をした事があり「体調不良に対する耐性」はある方だと思っている。例えば…だけど高熱が出たり吐き気があったり、下痢などの症状に見舞われた時は「動物のように布団の中で丸くなって寝ていればそのうち治る」って事を体感として知っているし「どうやってらシンドイ時間を無難にやり過ごせるか?」って研究にも余念がなく「身体がシンドイ時に読みたくなる本」さえある。(ちなみに有吉佐和子の『乱舞』『連舞』は定番)

それに較べて娘は小さい頃から病気知らずの健康優良児。

幼児の頃は幼児特有の伝染病にも罹ったけれど、どれもこれも軽く住んでいるし、そもそも発熱経験も圧倒的に少ない。素晴らしいな…と思う反面、なのでちょっと体調が悪くなるとメンタルまでガタガタになってしまう。

娘が小学校の高学年の頃。インフルエンザで発熱した時に「シンドイ…我慢できない…」と娘がシクシク泣いたのを見て仰天したことはいまだ忘れられない。「いやいや。普通の発熱やん? 泣くほどのことか?」って思ったけれど「ああ…そうか。この子は発熱体験が乏しいから戸惑っているんだ」って事に気がついた。

娘は私とは何から何まで真逆に出来ている。

娘と過ごしてきた日々は「なんだこの不思議な生き物は? 理解不能なんですけど?」と思うことの連続だった。そして娘に対する理解不能な感覚は娘が高校生になった今でも続いている。むしろ娘が成長と共に自分の気持ちを上手に説明してくれるようになったことで、自分と娘の感覚の違いに驚かさる回数が増えている。考え方や感じ方、趣味の方向性など一つ屋根の下で暮らしていても、娘は私とは全く違った個性を持つ人間として着実に成長している。

「子育て」って言っても結局は自分以外の生き物と向き合っていくのだから100%理解するなんて無理なんだなあ…と改めて思うし、だからこそ面白い。

この理解不能な感覚は一生続いていくのだろうなぁ。娘が生まれなければ知ることのなかった感覚だ。

先日、娘が受けた駿台模試の結果が届いた。英・数・国の三科目受験して国語の偏差値が1番良かった。娘は理系志望で「国語なんて大嫌い。滅びろ…って思ってる」と言うくらいには国語嫌いの子だ。

「何なの? それって何なの?」私には娘が理解できない。

私は自分が結婚すると思っていなかったし子どもを生むなんて想像をしたことのない人間なので、娘を育てている不思議を噛みしめつつ、この幸せをつくづくありがたいなぁ~と思う。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
日記
スポンサーリンク