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映画『怪物』感想。

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『怪物』は2023年に公開され第76回カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞を受賞している。また音楽を担当していた坂本龍一が公開前の2023年3月亡くなったため、坂本龍一の遺作としても話題になった。

私はコロナ禍の期間中、映画館で映画を観ることを自粛していたのだけど、コロナが5類に移行したこともあって『怪物』は映画館で観た。何だかんだ言って是枝監督の作品が好きなので、どうしても早く観たかったから…ってところもある。

今まで自粛していた映画館での映画観賞を解禁して観た『怪物』は最高に面白かった。2023年はまだ終わっていないけれど、私の中の「2023年ナンバーワン映画」になりそうな予感。

今回はネタバレ込の感想なのでネタバレNGの方はご遠慮ください。

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怪物

怪物
Monster
監督 是枝裕和
脚本 坂元裕二
製作 川村元気 山田兼司 伴瀬萌

伊藤太一 田口聖

製作総指揮 臼井央
出演者 安藤サクラ 永山瑛太 黒川想矢
柊木陽太 高畑充希 角田晃広
中村獅童 田中裕子
音楽 坂本龍一
公開 フランス  2023年5月17日(カンヌ国際映画祭)
日本  2023年6月2日[1]

あらすじ

物語の舞台は大きな湖のある郊外の街。

シングルマザーの早織、学校教師・保利と校長の伏見。そして保利のが教えるクラスの湊(沙織の息子)と依里…それぞれが平穏な日常を送っていた。

そんなある日。学校でケンカが起きる。 よくある子ども同士のケンカのようだったが、彼らの主張は食い違っていていた。そして食い違い…どころかマスコミを巻き込む問題となっていく。

  • 誰が「怪物」なのか?
  • 不幸の元凶はどこにあるのか?

様々な視点を踏まえて物語は展開していく。

今回の感想は視点ごとの流れを追いながら書いていきます

早織の視点

早織はクリーニング店で働きながら一人息子の湊を育てているがも湊の様子がオカシイことに気がつく。早織はシングルマザー。雑然とした家の中の様子からすると要領の良いタイプではなさそうだなぁ…と推察されるものの、真摯に息子と向き合っている良き母親。

ある日、息子の湊が耳に怪我をして帰宅する。原因を聞くと「担任の保利先生にやられた」という。ほかにも、暴言を吐かれたり、殴られたり、給食を食べさせてもらえなかことがあったと湊。早織は学校に行き真意を問う。

しかし担任の保利を含め、校長や教頭も謝罪するも全く心が感じられない。それどころか保利からは、湊が星川依里という児童をいじめていると告げられる。

謝罪を繰り返す学校や先生達に不信感を持った早織はマスコミを巻き込んでの騒動へと発展させていく。

早織視点で観ていて「学校とか、お役所の体制ってさぁぁぁ」「だから不登校が無くならないのよね」みたいな気持ちになってイライラした人は多かったと思う。私もその中の1人だった。

だけど気になるのは担任が「湊が星川依里という児童をいじめている」と言うところ。早織に心を寄せて作品を見てきた私はここで初めて「あれっ?もしかして、湊が怪物なの?」と疑いを持った。

胸糞映画かと思いきや、なんだか方向が変わってきて自分が映画の中に引きずり込まれているのを感じた。

保利の視点

保利は今年から小学校に勤め始めた新任教師。拙いながらも子供たちに馴染もうと努力をしていた。

ある日の教室で湊が体操着を投げて暴れてるのを見つける。その後、依里が上履きを隠されたり、トイレに閉じ込められたりと、いじめられている様子を目撃し保利は「湊が依里をいじめているのではないか?」と疑い始める。

そんな中、湊の母親である早織が学校に乗り込んでくる。早織の言うことは保利にとって身に覚えのないことばかりだったが校長から場を納めるためにとりあえず認めて謝罪するよう指示される。

しかし保利に謝罪するよう指示した校長は周囲から「自分の孫を誤って車で轢き殺してしまったのではないか?」と言う疑惑が持たれている人物だった。

保利は退職に追い込まれ、家にマスコミが押し掛けてくるようになる。

ある夜、未添削だったた作文が目に止まる。なんとなく添削を始めた作文は依里のもので、そこには湊と依里の関係性を示すトリックが仕込まれていた。

全てに気づいた保利はいてもたってもいられず、嵐の中湊の家に向かう。

保利先生、確かに不器用ではあるけれど普通に良い先生だと思った。むしろ被害者って感じ。

最近は公立学校の教師って仕事が過酷で割に合わない…って問題が取り上げられることがあるけれどホントそれ。

子どもの生活が複雑化して対応が難しくなっているのもあるし、モンスターペアレントとも向き合わなきゃいけない。保利視点で観ていると「頑張れ保利先生!」と応援したくなってしまった。

…とは言うもの、保利自身も善人って訳じゃないところがある。

保利は雑誌の誤植を指摘するのが趣味の偏った正義感の持ち主。偏執的に辞書が好きで勤務先の小学校にも辞書の詰まったキャリーケースを引っ張っていくし、自分自身のスキャンダル(生徒への暴力)を書いた記事の誤植でさえチェックする始末。微妙に歪んだ部分があり薄気味悪いところではある。

また保利は同僚達とも上手くコミュニケーションが取れていない。文字として書いていることを汲み取ることができても対面での直接的な会話は苦手なのだと思われる。これについては早織視点でも「それはちょっと、いくらなんでも…」ってところが表れている。

そしてこの時点では湊と依里の関係性については分かっていない。

校長先生への疑惑

大まかな事件の流れと視点から外れる人物ではあるけれど、田中裕子演じる校長先生の役どころについても触れておきたい。

彼女の立ち位置は最初から謎めいていた。

早織が湊の怪我の真意をと問うために学校に突撃した時、校長先生は掃除婦のような格好で掃除をしていた。掃除婦に見える女性が校長先生と分かった時「ああ…この人は権威主義の偉そうな先生じゃないんだな」と言う印象を受けるのだが、その後印象が変わっていく。

校長先生は保護者のクレームに対して動じる様子がなく、それどころか頼りない。

頼りないだけなら許せるのだが「やる気がない」風さえ見て取れる。「いくらなんでも、校長がその態度ってどうなんだ?」と思ったところで「校長先生は最近、お孫さんを亡くされておりまして…」と言う事実が判明する。

校長先生の孫息子は校長先生の夫が運転する車に轢かれて亡くなったとのこと。身内の運転する車で子どもが亡くなる事故はたまに報道されるけれど、こんな残酷なことはない。人によってはメンタルを病んでしまうだろう。

「校長先生がそんな状態では便りにならないな」と思わせておいてから、別の情報が開示される。「校長先生の孫が亡くなった時、運転していてたのは夫じゃなくて校長先生だったって噂がある」とのこと。校長先生は自分の職を失う訳にはいかないから夫が身代わりになった…ってことだ。

事故とは言うものの校長先生の孫を殺したのは夫なのか、それとも校長先生なのか?

作品の中で真実が明かされることはなかったけれど、校長先生が夫と面会している時のやり取りからして彼女が犯人だと考えるのが妥当だと思う。

「校長先生は自分の保身のみを考える卑劣な人間だった」と考えたいところだけど校長先生が学校を掃除していた姿は本当だったし、子どもと向き合っている時の誠実な姿も本当だった。

もちろんも、だからって孫殺しの身代わり云々にしても、学校の保身のために教師を見殺しにすることにしても許される事ではないのだけれど。

校長先生の言動には含みのある部分が多いので2回目以降を観ることがあれば、最初から注目しておきたいところだ。

湊&依里の視点

湊と依里の視点で物語が明かされていくターンに入って、はじめて本質が見えてくる。

実は湊のクラスでは、一部の児童から依里へのイジメが行われていた。湊は自分自身も巻き込まれることを恐れて表立って依里を庇うことはできないのだが、2人は友達だった。

学校外では湊と依里は関係を深めていく。廃線になった鉄道跡地を二人だけの秘密基地にし、宿題をしたり、怪物ゲームをして遊んだり。そんな中、湊は依里が父親に虐待されている事に気付く。

男同士の友情…このターンはかなりグッとくる。

「自分もイジメられるのが怖いから大好きな友達を助けることができない」湊を責めることはとても出来ない。そして依里も湊の立場を理解していて、決して湊を責めたりはしない。そこが泣ける。

緑に囲まれた鉄道跡地の秘密基地の映像は美しく、使われなくなった電車に乗り込む2人は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカンパネルラを連想させる。

たぶん鉄道跡地の車内での2人のやり取りの場面は『銀河鉄道の夜』の夜をリスペクトしている映像だと思う。(宇宙の話をしたり社内に惑星の飾りを吊るしたりしている)2人の関係が「少年同士の友情」だったら、どんなに素敵だっただろう?

『スタンド・バイ・ミー』的なひと夏の冒険で終われば何の問題なかったのだけど、事態は複雑で、それゆえに悲劇が起こってしまう。

ボーイミーツボーイ

『怪物』がカンヌ国際映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞を受賞している…って事を知った上で映画を観ていたら湊と依里の関係にピンと来たかも知れないけれど、私はその事実を全く知らなかっので、2人の間に恋愛感情が生まれたことについて仰天した。

ようやく、ここまで取り残してきた謎が一気に解決していく。

  • 依里が虐待されていた理由
  • 湊が「保利から暴力を受けた」と嘘をついた理由
  • 湊が父の仏壇の前で素直に話ができなかった理由

ずっと引っ掛かっていた謎や疑問が解けてくると同時に、たまらなくやるせない気持ちになってしまった。

そもそも。依里が父から虐待を受けていた理由も「息子が同性愛者だったから」って事だったのだ。湊と依里の間に恋愛感情が芽生えるまで虐待の理由が分からなかったのだけど、ここへきて「そうだったのか!」となるほど納得。

ただし父の虐待は「息子が同性愛者だったから」ってだけではないような気はする。嗜虐趣味があるのかな…とか。もしかしたら母親がいないのも「夫(依里の父)の暴力で出ていった」ってことも考えられる。

そして湊。彼は母子家庭ながらも母親から大切に育ててもらってきていた風が見受けられるけれど、前半部分からすでに母親との関係が微妙なことが示されている。

湊の母は湊に対して「結婚して家庭を築いて欲しい」と切望しているのに対し、湊は依里と知り合ってから自分が同性を好きな男であることを意識したため、母に対して今までのように素直にはなれなかったのだろう。

小学校高学年の男子ともなれば勃起もするようになるし、セクシャリティの事だって理解できる。湊は彼の年齢らしく悩み、そして誰にも打ち明けることができなかった。

ラストの解釈について

物語のラストは嵐が収まって青い空が広がる中で湊と依里が鉄道跡地のトンネルを抜けて、トンネルに続く草むらへと辿り着くシーンが描かれている。

湊と依里は嵐によって起こった土砂崩れに巻き込まれて死んでしまったのか、それとも奇跡的に助かったのか?

2人の生死については「観た人の解釈にお任せしますよ」と言う形で終わっている。

一応「解釈は観た人それぞれです」って事になっているけれど、個人的には2人は死んでしまったものだと考えている。鉄道跡地での場面が『銀河鉄道の夜』を意識したものだとすれば、あの草むらの場面は「死後の世界」と解釈するのが妥当かな…と。

『銀河鉄道の夜』でカンパネルラはそのままあの世へ行ってしまった。

『銀河鉄道の夜』の場合、2人はラストで離れ離れになり、ジョバンニだけが現世に戻ってきて現世の人間達とやり取りを交わしている。

しかし湊と依里は2人一緒で、しかも2人だけの世界のままで映画が終わっているところから、あの場面は死後の世界が妥当なのかな…と。

私は「湊と依里は2人だけで違う世界(死後の世界)に行った」と考察した。

もちろん真実は伏せられたままだし、それについては正直どっちでも良いと思う。「観た人の解釈にお任せしますよ」ってことだ。

怪物の正体

私は『怪物』を観る前は「きっと怪物の正体を突き止める映画に違いない」と思っていたけれど、そうじゃなかった。登場人物の誰もが怪物だったし、怪物じゃなかった。

我が子を守るためにと学校に掛け合った早織は怪物だったし、校長先生も怪物だった。やってもない罪を新人教師に押し付けた学校関係者達も怪物だった。

保利もある意味怪物だったし、自分達の関係を守るために嘘をついた湊も怪物だった。

依里を虐待した父親も怪物だったし、父親が通っていたガールズバーに火をつけた依里(あらすじには記載していないけど放火事件もあった)も怪物だった。

そして映画を観ていた自分自身も場合によっては簡単に怪物となる存在なんだ…って事を思い知らされるのだ。

飽きさせない展開と入り組んだ仕掛け。最高に面白かったし、もう1度観て細かい部分を確していきたい。冒頭にも書いたけれけど『怪物』は私にとって2023年最高の映画になると思う。

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白い木蓮の花の下で