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おんなのこ くどうなおこ×佐野洋子×広瀬弦 幻戯書房

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Twitterのタイムラインに、くどうなおこの詩(よい落書きになれるかな)の一文が流れてきた。

おんなのこは くっきりキッパリ 知っちゃった (わたしは この世に書きこまれた 落書きなんだ)って ああ それならば みてくれたひとが にこりとするような よい落書きだといいな

『よい落書きになれるかな』より

私はこの一文を読んで微妙な気持ちになってしまった。

詩の中の女の子が「私はこの世に書き込まれた落書きである」と言っているところ。もし一人称が「おんなのこ」ではなくて「にんげん」だったら微妙な気持ちにはならなかったのだろうけど落書きが「おんなのこ」である事にどうしても引っ掛かってしった。

世の中にあふれる文章の多くは解釈の違いで意味合いが変わってくる事が多いけれど、少ない文字数で表現する詩歌は特にその傾向が強い。またTwitterに投稿された文章は「抜き書き」の可能性が高い。(文字数制限もそうだけど著作権的な意味合いも)

「とりあえず全文を読んで、このモヤモヤした気持ちをどうにかしたい」と思い『よい落書きになれるかな』が収録されている詩集『おんなのこ』を図書館のオンライン予約でポチった。

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おんなのこ

ザックリとこんな内容
  • 千趣会で出した作品の覆刻本。くどうなおこの詩に佐野洋子が絵をつけている
  • くどうなおこの詩とあ佐野洋子の色彩がタッグを組んだら…みたいな企画本
  • したたかに生きるすべての「おんなのこ」に贈る物語との触れ込み

感想

まずは「Twitterで流れてきた一節が抜き書きかどうか?」ってことだけど、やはり抜き書きだった。そして「詩を全文読むとイメージが変わるかどうか?」についてだけど「確かに少しイメージが変わったけれど、やっぱりモヤモヤする」って感想に至った。

私が引っ掛かってしまった『よい落書きになれるかな』は夕暮れ時の光景と心を描写した作品で「おんなのこ」は性別的な意味も多少は含まれているけれど「わたし」に置き換えても良いような作品だった。

そして詩の最後には「ひとはみな」と言う言葉が使われている事を考えても「女の子=落落書き」と言う解釈にはならないのだった。

じゃあ、どうして詩集『おんなのこ』を読んでも気持ちがスッキリしなかったか…って話をする必要がある。

『おんなのこ』に掲載されてる詩には妙に鬱屈した空気が流れていて「おんなのこ」がちっともハッピーじゃないのだ。

「たいくつ」「かなしい」「さみしい」と言ったマイナスイメージの言葉がやたらと多く使われていて、佐野洋子の挿絵の「おんなのこ」も不貞腐れたようなツマラナイ表情で描かれている。

「女性の鬱屈した気持ちを表現したんですよ」と言われてしまえばそうなのだけど「なんだか感覚が古いな…」とガッカリしてしまった。もちろん、これは私の解釈のしかたが下手くそなだけかも知れないけれど。

千趣会で『おんなのこ』が最初に出版されたのは1975年とのこと。ざっくり50年ほど前の価値観の中で生きる女性(おんなのこ)の像を正しく書いた作品なのかなぁ…とは思う。

余談だけれど女性の生き方を表現した詩というと私はまっさきに新川和江の『わたしを束ねないで』を思い出す。

国語の教科書にも採用されている詩なのでご存知の方も多いと思うのだけど、国語の教科書で『わたしを束ねないで』を読んだ私は新川和江が綴る言葉の力強さに圧倒されたし、自分の心や感性をしっかり持った女性の詩に力付けられる思いがした。

『わたしを束ねないで』は『よい落書きになれるかな』よりずっと前に書かれていると追うのだけど、感性が現代的なのだなぁ…って事を改めて感じた。

『おんなのこ』は女性向け通販のパイオニアとも言える「千趣会」主導で出版された作品なので購買層のターゲットに合わせて作られたのかも知れないけれど、どうにも私の感性には合わない1冊だった。

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白い木蓮の花の下で