久しぶりにファンタジー小説を読んでみた。
そう言えば上橋菜穂子作品の感想は書いたことが無いけれど、私のベースはヲタクなので上橋菜穂子作品はほどほどに履修している。守り人シリーズは一部読んだだけで全てを網羅した訳ではないけれど『獣の奏者』は読んでいる。
今回の『香君』は守り人シリーズや『獣の奏者』と同じく「アジア風のファンタジー世界」設定。題名になっている香君は猛烈に嗅覚が優れていて香りで森羅万象を知る存在。
ファンタジー小説と言うと西洋設定で剣と魔法と妖精と…みたいなイメージが強いけれど、上橋菜穂子はそれまでのファンタジー小説とは違った物語を書く人。『香君』に剣や魔法は登場していなくて、むしろ現代的な考え方がベースにあったのがとても良かった。
香君(上・下)
- ウマール人は遥か昔…神郷からもたらされたという奇跡の稲、オアレ稲をもちいて帝国を作り上げた。
- 帝国は香りで万象を知るという活神「香君」の庇護のもと発展を続けてきたが、あるとき、オアレ稲に虫害が発生してしまう。
- そんな中、ひとりの少女が帝都にやってきた。人並外れた嗅覚をもつ少女アイシャはオアレ稲に秘められた謎と向き合っていく。
感想
『香君』は嗅覚の発達した少女が主人公だと聞いていたので「なるほど…異能力系か」と思って手に取ったのだけど、嗅覚云々は小道具でしかなかったのが意外だった。
たまたまだけど『香君』の前に読んだバッタ研究者の書いた『バッタを倒しにアフリカへ』は農作物を食い荒らすバッタの大群がテーマだったのだけど『香君』もまた、害虫が登場していて「農作物を育てて人が餓えることなく生きていくことのできる世界」がテーマになっていた。余談だけど、あとがきで『バッタを倒しにアフリカへ』の著者である前野ウルド浩太郎の名前が登場している。
物語のあらすじ自体が面白いのもそうなのだけど『香君』は食糧危機について深く考えさせられる作品だった。『香君』の世界ではオアレ稲と言う穀物に頼り切った農業を行っているのだけど「オアレ稲を食べる害虫が登場してしまったらどうするの?」みたいな話が大きな軸になっている。
オアレ稲は育てやすくて害虫にも強くて収穫しやすい…って設定だけど、そんなオアレ稲を食べる虫が大量発生したら、食糧危機が起こって餓死者が出るよね…ってこと。
そして帝国はオアレ稲を利用して周辺国を収めている訳だけど食料自給率の低い日本に住んでいる身としては「食べ物を抑えられているって怖いことだな…」と改めて感じずにはいられなかった。
物語の大義が凄かったのもそうだけど、ドラマとしても面白くてイッキ読みしてしまった。主人公のアイシャは頭が良くてヒロインらしいヒロインだったし、美しくて健気なオリエも尊くて良かった。
ただ1つ文句を言うとすれば「誰かの不幸の上に成り立っている大いなる幸せ」ってどうかと思ったし、日本人は結局のところ美しい女の子(女性)を生贄にしたがる習性から逃れられないのね…みたいな気持ちになってしまった。
『香君』のオチは書かないけれど、古のファンタジー小説やRPGゲームにありがちなまとめ方で上橋菜穂子でさえ「ド定番」の呪縛からは逃れられなかったのか…と少し残念に思った。もっと奔放なラストでも良かったんじゃないかと思う。
……とツッコミたい部分はあるにしても『香君』が日本のファンタジー小説としては上質な読み物であることに間違いない。『香君』は上橋菜穂子の代表作の1つに加えられる事になると思う。