前回読んだ『ふたたびの生』と内容的にはほとんど同じだが、こちらは「患者と医師」というテーマで書かれていた。
『ふたたびの生』は自伝と言っていいと思うが、この作品は自分と同じ経験をして苦しんでいる人々へのメッセージ性が強く、なかなか興味深かった。
患者の孤独―心の通う医師を求めて
「病気のはずがない」「気のせいだ」…体の苦しみよりもそれを認めてもくれない心ない医師の言葉が痛かった。
30年の闘病生活の中で、自らの医療体験の全てを明かし、患者のあり方、医療のあるべき姿を根底から問い直す。
アマゾンより引用
感想
体調を崩して病院へ行っても「気のせいですよ」の一言で片付けられてしまうケースに対し、柳澤桂子は「精神的、神経的なものなら、心療内科や精神科に紹介するべきできないか」と書いていたが、私もまったく同じことを考える。
患者にとって「病名」や「原因」よりも大切なのは「今苦しんでいる状態をなんとかして欲しい」ということなのだ。
自分自身の力で解明できない病気を「気のせい」や「精神的なもの」と断言する厚顔な医師がいることは、本当に腹立たしい限りだ。
たいたいからして「先生」と名前のつく職業の人間は、自分が偉いと勘違いやすいように思う。
金銭的にいうなら、患者は客で、医師はサービスを提供する側になるのだ。普通なら金銭を支払う側が尊大な態度でいてもいいはずなのに、患者がへりくだって「診察していただく」のが一般的である。
腰の低い医師や、態度の悪い患者もいるのも事実なのだけど。
柳澤桂子の経緯を読むと、自分や自分の家族の命や尊厳はは自分達の手で守らねばならないのだと痛感させられる。
そして、もう1つ強く感じたのは、人間ってのは、なんだか分からないけど、とりあえず「生きなきゃいけない」ということと、生きるためには強くなきゃいけないということ。
「出来ない・知らない・分からない」では駄目だということ。「○○せねばならない」というのは重苦しい感じがするけれど、けっきょくはそれが自分の幸せのためなのだと思う。
それにしても柳澤桂子の本を読むと普段は考えないようなことまで考えてしまうなぁ。私にとって柳澤桂子の本は、そこが1番の魅力なのかも知れない。
熱くなりすぎず、かと言って冷たくもなく。少しづつ他の本も読んでいきたいなぁ……と思う。