久坂部羊の作品を読んで素直な気持ちで「面白い」と思ったのは久しぶりかも知れない。
私は久坂部羊の書く医療、介護をテーマにした小説が大好きなのだけど、ここ数年はコメディタッチの作品か、そうでなければ短編(あるいは連作短編)が多くて、ガッツリと響くものがなかったのだ。
今回読んだ『生かさず、殺さず』はコメディ色を抜いた長編小説。『廃用身』とか『老乱』と較べると少し力が抜けている感じがあるものの、読み応えのある作品だった。
生かさず、殺さず
- 主人公の三杉は認知症患者専門病棟「にんにん病棟」の医長。
- 三杉はもともとは外科医だったが、諸事情によりWHOのマラリア対策支援のためパプアニューギニアに渡り、帰国後に「にんにん病棟」の医長に収まっている。
- 認知症の患者も、がんや糖尿病などさまざまな病気を患う。彼らをどのように治療すべきか…三杉や看護師達は日々、努力を重ねるが、なかなか上手くいかないことの方が多い。
- そんな中、三杉に医者から作家に転じた坂崎はが取材協力を求めてきた。
- 坂崎は三杉が密かに悔やむ過去を知っており、それをネタに三杉を追い詰め、窮地に陥れて、小説にしようとするが……
感想
久坂部羊の作品は医療に対して真摯な気持ちを持った医師が主人公になるパターンが多いのだけど『生かさず、殺さず』の主人公も真面目な優等生タイプ。だからこそ悩んでしまうし、余計な問題を抱え込んでしまう。
認知症病棟の様子は高齢者と接したことのある人や介護に携わっている人なら「分かるわぁ」と思うようなことばかりだと思う。
私はまだ認知症の介護を経験したことはないけれど、母達の入院等を通じて「あれ。これって見たことのある場面…」とデジャヴのような感覚に陥ってしまった。
今回は認知症を患った患者本人だけでなく家族の描写もキッチリと抑えられていたので、余計に共感を持つ部分が多かったのだと思う。
『生かさず、殺さず』を読んでいる中で、ふと「久坂部羊は医師の立場にある人だけど、考え方は介護者とか患者に近いから、読者が共感するのかも知れないな…」なんてことを思った。
夫の兄は医師なのだけど、義母のことに関して私は夫の兄の意見に対して違和感を抱くことが多い。
夫の兄の意見はいつも正しいのだけど「それっと、ちょっと厳し過ぎませんか? お義母さんは、いつあの世に行っても分からない年なんだから、もう少し緩くてもいいんじゃないかな?」と思ってしまうのだ。夫の兄は医師として義母と向き合っていて、私は家族として向き合っているから考え方が食い違うだけで、夫の兄が間違っている…って訳じゃない。
久坂部羊が最近テーマにしているのは「いつ亡くなっても不思議ではない高齢者に対して過剰な医療を施して苦しめるのはどうなのか?」ってところ。
医師の意見、患者本人の意思。家族の要望。
どれが正しいとか、どれが間違っているかと言い切れないのが難しい。
今回は認知症医療や介護の問題と共に坂崎と言う医師で小説家崩れの男が登場して、主人公の三杉を罠にはめるサスペンスっぽい流れもあるのだけれど、正直こちらの絡みはあっても無くても良かった気がした。本題を引き立てるパセリのような話なので、医療サスペンス要素は期待しない方が良いと思う。
100点満点…とまではいかないけれど、読み応えのある良い作品だった。久坂部羊の次の作品が出たら是非読みたい。