好奇心を抑えきれずに『ジョーカー』を観に行ってきた。
『ジョーカー』は第76回ヴェネツィア国際映画祭、金獅子賞を受賞作品。
日本でも公開されるやいなや、話題になっていて「私の好みじゃなさそうなんだけどなぁ」と思いつつ気になっていた。
感想やネタバレを避けていたので、実際に作品を観るまでに私が知っていた情報は3つだけ。
- 人がいっぱい死ぬ
- 怖い
- 胸糞が悪なるタイプの映画である
「わざわざお金を払って胸糞悪くなるとか、どんだけMっ子なの?」と言う気持ちがあって「レンタルにくるまで見ないぞ」と心に決めていたのだけれど、ちまたの評判が気になり過ぎて映画館ままで足を運んでしまった。
結果…想像していた内容とはまったく掛け離れていた。恐怖よりも、やるせなさや哀しみを感じる作品で、多くの事を考えさせられた。
今回、あらすじの段階でネタバレしていくので、ネタバレNGの方はご遠慮ください。
なお『ジョーカー』は考えさせられるところが多かったので、かなり長い(ウザい)感想ですが、ご容赦ください。
ジョーカー
ジョーカー | |
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Joker | |
監督 | トッド・フィリップス |
脚本 | トッド・フィリップス スコット・シルヴァー |
原作 | ボブ・ケイン (キャラクター創作) ビル・フィンガー (キャラクター創作) ジェリー・ロビンソン (キャラクター創作) |
製作 | トッド・フィリップス ブラッドリー・クーパー エマ・ティリンガー・コスコフ |
製作総指揮 | マイケル・E・ウスラン ウォルター・ハマダ アーロン・L・ギルバート ジョセフ・ガーナー リチャード・バラッタ ブルース・バーマン |
出演者 | ホアキン・フェニックス ロバート・デ・ニーロ ザジー・ビーツ フランセス・コンロイ |
音楽 | ヒドゥル・グドナドッティル |
あらすじ
物語の舞台は1980年代ゴッサムシティ。ゴッサムシティは財政難に陥り、貧富の差が激しく、人々の心はすさみ切っていた。
主人公のアーサー・フレックは、母ペニーの介護をしながら、ピエロの仕事をして暮らしていた。
アーサーは「発作的な笑い出す病気」を患っていて、閉鎖病棟への入院歴があり、福祉センターでカウンセリングを受けている。
アーサー達の生活は貧しく、しかも収入は不安定。それでもアーサーはコメディアンを夢見ていたが、コメディアンどころか、ピエロの仕事中にストリートギャングに襲撃されて、袋叩きにあってしまう。
ある日アーサーは所属している派遣会社での同僚・ランドルから、護身用にと拳銃を借り受ける。
アーサーは護身用の銃を持ち歩いていたが、小児病棟での仕事中にそれを落としてしまったことが原因で、派遣会社を解雇される。
その帰り、アーサーは女性に絡んでいたウェイン産業の証券マンたちに暴行され、彼らを拳銃で射殺してしまう。
この事件は貧困層から富裕層への復讐として社会的に認知され、ゴッサムの街では犯行当時のアーサーのメイクにインスパイアされた、ピエロの格好でのデモ活動が活発化していくことになる。
でも活動が活性化する中、市の財政難により社会福祉プログラムが削減されてしまい、アーサーのカウンセリングは終了してしまう。
アーサーはある日、ふとしたことから知り合った隣室の未亡人ソフィーと仲良なり、恋人として付き合いはじめる。アーサーはデートした晩、自宅へ戻ったアーサーは母が、かつて家政婦として雇われていた実業家トーマス・ウェインへ宛てた手紙を読み、自分がトーマスの隠し子であることを知る。
真実を確かめにウェイン邸へ赴いたアーサーだが、トーマスの息子・ブルースと執事のアルフレッドには会うことができたものの、トーマスには会えなかった。
失意のまま自宅へ戻ると、証券マンたちの殺人事件で調査に来た警察の訪問に驚いたペニーが脳卒中を起こし、救急車で運ばれるところだった。
ペニーの病室のテレビでマレー・フランクリンの番組が流れ、アーサーがバーで行なったショーの映像が流された。番組の中で「ジョーカー」と紹介されたアーサーは一躍有名人となる。
ある日、アーサーはデモ活動が門前で起こるウェイン・ホールに侵入し、トーマスと対面する。トーマスは、ペニーの手紙はすべて出鱈目だと言い切り、アーサーはペニーの実子ではなく養子だと告げる。
失意のアーサーは恋人であるソフィーの家を訪ねるが、アーサーのことを見たソフィーは恐怖に怯える。恋人だと思っていたソフィーとの思い出は全てアーサーの妄想だった。
その後アーサーは州立病院へ赴き、ペニーの診断書を閲覧した。
診断書にはペニーが精神障害を患っていること、アーサーが養子であること、自身の障害はペニーの恋人による虐待によるものなどを示す書類が挟まれていた。
信じていた母親からも裏切られたことを知ったアーサーは、病室のペニーを窒息死させた。
ペニーの死は病死とされ、アーサーが自宅へ戻ると、マレーの番組担当者から、次のゲストとしての出演を依頼される。快諾したアーサーは、当日の流れを入念に練習し始める。
ピエロのメイクをしているアーサーの自宅にへ、母ペニーが亡くなったことを心配して、同僚だったランドルと小人症のゲイリーが訪れる。
アーサーは裏切り者のランドルの喉をハサミでかき切り、倒れた彼の頭を壁に何度も叩きつけて殺してしまいました。しかし、唯一自分に優しくしてくれていたゲイリーは傷つけることなくアパートから帰す。
テレビ局へ向かう途中、アーサーを見張っていた刑事たちに追われが、デモ活動のピエロたちに紛れ、追跡から逃れる。
劇場に到着し、楽屋で化粧を直すアーサーのところにマレーとディレクターがやってくる。アーサーは自分を「本名ではなく、ジョーカーと紹介してほしい」と頼む。
そしてフランクリン・ショーの生放送がスタートする。
始めはコメディアンとして振る舞っていたアーサーだが、突然「証券マンたちを殺したのは自分だ」と告白する。
アーサーはマレーが自分をテレビに出したのは笑いものにするためだ言い、隠し持っていた拳銃でマレーを射殺。駆け付けた警察に逮捕される。
アーサーの凶行が生放送されたゴッサムシティはデモが暴動と化し、街のあちこちで火の手が上る。
トーマスは、暴動を避けるために犯罪横丁とよばれる裏道へ家族を伴って逃げるが、それを観ていた暴徒に夫婦共に射殺され、息子のブルースだけが生き残る。
逮捕されたアーサーだが、護送していたパトカーに救急車がつっこみ、暴徒によって救出される。
意識を取り戻したアーサーはパトカーのボンネットの上に立ち上がり、口から出た血で裂けた口のようなメイクをして踊る。暴徒達はアーサーを英雄のように讃えるのだった。
……場面が変わり、病院で精神分析を受けるアーサーの姿。
精神分析医は「ジョークを思いついた」というアーサーに、どんなジョークなのか教えて欲しいと訊ねるが、アーサーは精神分析医に「あなたには理解できない」断る。
アーサーが診察から抜け出し、血の付いた足跡を残しながら病院から脱走しようと試みるところで映画は終わる。
社会福祉制度の届かない人々
ザックリとあらすじを読んでもらうと分かると思うのだけど、主人公のアーサーは社会的弱者であり、最下層で暮らしている。
- 精神病を患っている
- 仕事は不安定
- 母親の介護をしている
- 独身で恋人はいない
……この状況だと私でも絶望する。
私は現在、結婚して幸せに暮らしているけれど、独身の頃は「一生結婚出来ないし、母親の面倒をみながら年を取っていくんだろうな」と覚悟していた。
私の場合「実家の側に暮らしてサポートしてあげればいいじゃない」と言ってくれた夫と出会えたのでラッキーだった。夫と出会わなければ今でも実家で暮らしていたと思うだけに、アーサーにやたら肩入れしてしまった。
閉鎖空間での介護生活なんて、健康な人でも心を病むのに、精神病を患っているアーサーにとって、どれだけ過酷だっただろうか?
しかし物語の冒頭でのアーサーは、変なヤツだけど決して悪いヤツじゃない。
むしろ「大変だけど頑張って!」と応援したくなってしまうような男性だった。
殺人のキッカケ
アーサーが初めて殺人事件を起こしたのは地下鉄内でエリート証券マン3人組から暴行を受けたのがキッカケだった。
アーサーは「笑いの発作」が出ると『私は脳の疾患で突然笑いが止まらなくなります』と書いたカードを人に見せていたのだが、電車内で笑いの発作が出たアーサーはカードを見せるチャンスさえなく、暴行を受ける。
「だから殺してもいいのか?」と言うと、その答えはNO。
しかし、ここでもう1つ考えたいのが「変な行動をする人がいれば暴行してもいいのか?」ってこと。
これは学校や職場のいじめにも当てはまる事なのだけど、法治国家において「暴行をしても良い理由」は存在しない。もちろん「殺人をしても良い理由」も存在しない。
「変な人間、自分より弱い人間は馬鹿にしたり、暴行してもいいだろ?」と言う考えが、アーサーが最初の殺人を起こすキッカケになっている。
殺人はあくまでもアーサー個人の問題なので「社会が全部悪い」とは言わないけれど、考えさせれられる場面だ。
誰にも愛されなない悲劇
『ジョーカー』は最初から最後まで鬱な場面の連続なのだけど、唯一ホッとさせられたのがアーサーに恋人が出来た場面。
アーサーの恋人は同じアパートに住む黒人のシングルマザー。お互いに裕福ではないながらも片寄せあうような関係を築いていく。
……と思わせておいてからの「実は恋人のくだりはアーサーの妄想でした」って流れに持っていくなんて鬼畜過ぎて呆然としてしまった。
あんなん、絶望してしまうやん!
私は予備知識無しで観たので「アーサーは人を3人も殺してしまったけど、もっと早くに恋人と出会えていれば殺人なんて起こさなかったかも知れない」とか「アーサーが殺人犯になったことを知って、恋人が離れていっちゃうのかな?」とか、色々な思いに駆られていたのに、全部妄想だったなんて。
アーサーは自分の父親だと思ってたトーマスと対面した時「お父さん、ハグして欲しいだけなんだ」(セリフはうろ覚え)と叫ぶのだけど、ホントそれ。
誰からも愛されず、社会からも孤立してしまったらどうしたら良いのだ?
逆に社会から孤立してしまったとしても、誰かから愛されていれば悲劇には至らなかったように思う。
最悪の病気と最悪の苦しみは、必要とされないこと、愛されないこと、大切にされないこと、全ての人に拒絶されること、自分がだれでもなくなってしまうことだと、より実感するようになりました。
マザーテレサの名言集より引用
HOUND DOGの『 ff』の歌詞にある「愛がすべてさ」ではないけれど、人は愛がなければ生きていけないのだなぁ。
アーサーが不憫過ぎて泣ける。そりゃ絶望もするだろう。あんな人生、哀し過ぎる。
ジョーカーは無敵の人なのか?
Twitter等、WEBで感想を読んでいると「ジョーカー=無敵の人」と解釈する人がいるようだ。
しかし、しっかり映画を観ると無敵の人が起こした殺人事件とアーサーが起こした殺人事件には大きな違いがある。
ジョーカー(アーサー)は確かに「無敵の人」ではあるけれど、ジョーカーの起こした殺人事件は昨今の日本で問題になっている「無敵の人」が起こした無差別殺人と違って、それぞれの殺人には全て理由がある。
- 証券マン3人を殺した事件→証券マンから暴行を受けたため
- 同僚の殺害→同僚からの裏切り
- 母親の殺害→母親からの裏切り
アーサーの起こした殺人事件は「ムシャクシャするからやった」的な殺人事件とは違ってる。
もちろん「理由があれば殺して良い」って訳ではないけれど、同じ同僚でも小人症のゲイリーは傷つけていないところに注目したい。
役者さん達の演技にも注目したい
物語の本題から逸れるけれど、役者さん達の好演にも注目したい。
まず主役のホアキン・フェニックス。
主人公、アーサーは貧民設定なのでガリガリに痩せこけている。たぶん役に合わせて減量したと思うのだけど「よく、そこまで絞りましたね!」と驚愕した。
そしてガリガリなのに筋肉質で動きが美しいのだ。
アーサーはピエロと言うことで、踊ったりポーズをつけたりする場面が多いのだけどポーズがバシッっと決まっていて実に美しい。
精神病を患っているアーサーを見事に演じきっていて、特に笑う場面の不気味さは秀逸。
そして「フランクリンショー」のマレーを演じたロバート・デ・ニーロの感じ悪さも最高だった。
ロバート・デ・ニーロはかつて『レナードの朝』で自身も神経病患者を演じている。
『レナードの朝』の中で、精神が崩壊していく主人公レナードを演じたロバート・デ・ニーロが、アーサーを笑い者としてテレビに出そうとしたマレー役なのは「あえて」なのか、たまたまなのかは分からないけれど、嫌な奴感が最高に良かった。
アーサーの妄想の恋人、ソフィーを演じたザジー・ビーツは「頑張るシングルマザー」ながらも、魅力的な女性を演じていて素敵だった。これからグイグイとアメリカ映画に登場しそうな予感がする。
社会派映画と言っても良いかも
『ジョーカー』は過去に作られた映画作品に登場した「ジョーカー」のオマージュであると言う考察もあるけれど、私は『ジョーカー』は1つの作品として完成されたものだと考えている。
殺害場面がショッキングなのと、ピエロの恰好が不気味なので「怖い映画」みたいな部分が前面に出ているけれど、どちらかと言うと『私はダニエル・ブレイク』のような社会派映画だと思う。
『私はダニエル・ブレイク』の登場人物も何か1つ、ボタンを掛け違えたらジョーカー化する可能性がある気がしてならない。『私はダニエル・ブレイク』の登場人物達はどうに踏みとどまったが、アーサーはぶっ切ってしまっただけ…なんじゃないかな…と。
映画を観た勢いだけでワーッと感想を書き殴ってしまったけれど、もう少し落ち着いて色々考えてみたい…と思うほど、私にとって『ジョーカー』は、深い作品だった。