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賢治に対する執着心

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宮澤賢治が好きだ……とずっと思っていた。だが、最近になって「私は宮澤賢治が好きなんじゃなくて『銀河鉄道の夜』という作品だけが好きなのかも知れない」と思うようになってきた。よくよく考えてみると、賢治の作品に精通している訳ではないのだ。有吉佐和子や遠藤周作にいたっては「かなり読み漁りましたよ。語らせたら凄いですぜ、旦那」と胸を張って言えるのだけど、賢治の作品は、コンプリートまでには至っていない。その上、彼の代表する詩である『雨ニモマケズ』は好きじゃないときている。人柄に心酔していると言う訳でもなんでもない。

では、賢治の作品で何が好きかと問われれば小説では『銀河鉄道の夜』『グスコーブドリの伝記』の2つ。詩だと『永訣の朝』ってところだろうか。ダントツで好きなのは『銀河鉄道の夜』で、この作品への執着心は並大抵ではない。読書録にもチラッっと書いたがカンパネルラに顔さえ知らない兄の像を重ねて、1人勝手に慕っていたのは若気の至りと言うべきか、幼い頃の微笑ましいエピソードと言うべきか。

『銀河鉄道の夜』の中にでてくる「蠍の火」の話と、カンパネルラの生き様に、心底憧れたこともあったけれど、大人になった今では「人のための死」よりも「生き抜く」ことを第一に考えるのが人としての道だと信じているし、人は優しさだけで生きられないってことも分かっている。実際、賢治自身は大きな理想を持っていたにも係わらず、家族に迷惑をかけまくって「人としてどうよ?」としか思えない人生を歩んでいる。理想も分かるし、心の美しい人だった……ってことも分かる。だが自分の気持ちに忠実であることや、理想を追い求めることで自分以外の人間に不幸をもたらすのだとしたら……それは優しさでなんでもなくて、エゴイスティックな幼さに過ぎないと思うのだ。

賢治や、その作品、あるいは彼の理想論を否定しながらも、心のどこかでまだ憧れを捨てきれていないのは、子供の頃に好きだったという思い出に対する執着なのか。私も、ひと皮向けて、もう一段階大人の階段を昇ったら「宮澤賢治にハマった頃もあったけど、どうかと思うよね。あの人の作品とか考え方ってさ」と心から言えるようになるのかも知れない。

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