『雑居家族』は子供のいない夫婦(事実婚で籍は入っていない)が、次々と子供を引き取って暮らす日々を描いた作品だった。
『雑居家族』の題名通り、家族として暮らしているけれど血の繋がりの無い人達が一つ屋根の下に暮らしていて、今の時代では考えられなかったけれど昔はそれもアリだったのだろうか。
雑居家族
子のない夫婦が、つぎつぎとよその子をひきとって育てる―。涙と笑いの日々を、しみじみと描く「二十四の瞳」の壷井栄の文学世界。
一つ屋根の下に六人のあるじ-。子のない夫婦が、つぎつぎとよその子をひきとって育てる涙と笑いの日々をしみじみと描く壷井栄の文学世界。1956年筑摩書房刊の再刊。
アマゾンより引用
感想
主人公夫婦は「馬鹿」が付くほどお人よしで、縁も所縁もない子供を次々と押しつけられて、最初のうちは「冗談じゃない」などと思っているのに「それはそれで仕方ないか…」的な諦めと、情の深さとで「他人ばかりで編成された家族生活」を、それなりに楽しく生活している。
お人よしと言えばそうなのだけど、懐の深さと、器の大きさにはつくづく頭が下がった。
ヒロインは所謂「肝っ玉母ちゃん」なのだと思う。私は今、1歳の女の子を育てていて「子育てって楽しいけれど大変!」ってことを、つくづく感じているだけに、血の綱がらない子を何人も育てていくなんて「凄い」としか言えないのだ。
確かに凄いことだと思うけれど「時代」が違うって部分もあると思う。
私の祖母の世代の人と話をしていると、存外「実は他人と暮らしていた」って人は多かったりするのだ。
なので「凄い・凄い」と賛美出来るものかどうかは、正直なところよく分からない。
新聞小説だったせいか1冊の本として読むとブツ切れの物語を繋ぎ合わせたような印象を受けた。
そして、面白かったかと問われたら「まずまずかな」くらいのところ。小説の出来としてイマイチな部類だと思う。
テレビドラマだったら面白いかなぁ……なんてことを思っていたのだけど、すでに映像化されているとのこと。なるほど納得。
この作品はあくまでも「作り話」ではあるけれど、作者である壷井栄の人となりのにじみ出る作品ではあるので、壺井栄が好きな人なら読んでおいて損はないと思う。