この小説は檀一雄の夫人である、ヨソ子さんが1番好きな作品だという。
小説としては、作者が書いた他の物に較べると見劣りするような気がするのだが「男・壇一雄」を偲ぶにはこれ以上の作品は無いようにも思う。
檀一雄の書いた私小説の決定版というと『家宅の人』ではあるけれど、あの作品は愛人との生活が、かなりのウェイトを占めているに対して、この作品は太宰を書くことで、作者自身を書いているような趣があった。
小説太宰治
作家・檀一雄は太宰治の自死を分析して、「彼の文芸の抽象的な完遂の為であると思った。文芸の壮図の成就である」と冒頭から述懐している。
「太宰の完遂しなければならない文芸が、太宰の身を喰うたのである」とまで踏み込んでいる。
昭和八(1933)年に太宰治と出会ったときに「天才」と直感し、それを宣言までしてしまった作家・檀一雄。
天才・太宰を描きながら、同時に自らをも徹底的に描いた狂躁的青春の回想録。作家同士ならではの視線で、太宰治という天才作家の本質を赤裸々に描いた珠玉の一編である。
アマゾンより引用
感想
それにしても檀一雄は太宰治と言う人に心底惚れていたのだろうなぁ。
男同士の熱い友情というよりも、むしろ作者が太宰治を「愛しくてならない」というような印象を受けた。
太宰治の風貌をキリストにたとえた一文などは「まいった」のひとことに尽きる。太宰治という天才に、どうしようもない劣等感を抱きながら、それでも好きだったのだろうなぁ。
そうでなければ太宰治の魅力を、あんな風には書けないだろう。そして太宰治を好きな作者自身もまた、不思議と魅力的に映る。
太宰治と、檀一雄は似ているようなものを持っているのに、決定的に違うのは「生命力」のあるなしだと言われるけれど、この作品を読むと、ものすごく納得させられる。
私が太宰治よりも檀一雄に魅力を感じてしまうのは、生命力の輝きゆえなのかも知れない。
太宰治の作品だけなら好きなのだけど、人間として見るならば、もし付き合うようなことがあるのなら断然檀一雄がいい。お料理上手ただし。
ものすごく面白いとは言い難いけれど、太宰治と壇一雄の好きな人なら読んでみて損はないように思う。男の繋がりもいいなぁ。うむ。