『鋼の女 最後の瞽女・小林ハル』は江戸時代に組織された瞽女集団の最後の1人、人間国宝、小林ハルの生涯を描いたノンフィクション。
1900年生まれの盲目の女性が辿ってきた道程は、あまりにも苛烈で痛々しいものだった。
小林 ハル(こばやし ハル、1900年(明治33年)1月24日 – 2005年(平成17年)4月25日)は、日本の瞽女。生後3か月で失明し、5歳の時に瞽女修行を開始。数多くの苦難を経て晩年に「最後の長岡瞽女」、「最後の瞽女」として脚光を浴びた。
ウィキペディアより引用
鋼の女 最後の瞽女・小林ハル
- 瞽女集団の最後の1人、人間国宝、小林ハルの生涯を描いたノンフィクション。
- 盲目のハルは幼い頃から母親から厳しく躾けられて育つ。
- 当時、盲目の人の生きる道は限られていて、ハルは「瞽女」として生きることになる。
感想
『鋼の女』というタイトル通りに小林ハルと言う人は強靭な精神力の持ち主。
人間国宝、小林ハルは恵まれた星回りの下にいた訳ではない。幼い頃から懸命に生き、がむしゃらに努力を続けて老いを迎える。
この作品の中で老境の小林ハルは「凛とした美しさのある人」というような表現がされている。「美しい」と言う言葉が何度も何度も繰り返されているのだけれど、私は「なんだかなぁ」と言う気持ちを拭いきれなかった。
懸命に生きた人の人生を否定する気はないけれど「ひたすらに頑張って、強く生きたことで、この人は幸せだったのかな?」と疑問を抱いてしまったのだ。
とかく日本人は「人に迷惑をかけずに生きる」ということを美徳とするが、ある程度は頼ったり頼られたり……という部分も必要ではないかと思うのだ。
小林ハルという人は、なんと立派な女性だろうかと思う反面、その生き方に賛同することは出来なかった。なんだか可哀想で仕方がなかったのだ。
諦めの人生とでも言うのだろうか……楽しい事、楽ちんなことを頑なに拒否しているような印象さえ受けてしまった。
小林ハルの生きた時代と今とでは、障害者の置かれた立場、あるいは女性が置かれた立場は全く違っていると思う。
そのため、小林ハルの人生を現代の考え方の尺度で計ることは出来ないのだけど、それにしても酷い話だと思った。
全ての人が幸せになれる世界なんて有り得ないとは思うのだが、せめて、全ての人が尊重されるような世界であって欲しいと願わずにはいられない。
色々な意味で激しく刺激を受けた作品だった。
「生きている限り、全部修行だと思ってきましたが、今度生まれてくる時は、たとえ虫になってもいい、目だけは明るい目をもらいたいもんだ・・・。」 と語った小林ハルの言葉の重さに圧倒された。
語りたいことは山ほどある。が、とても語りきれそうにない。心揺さぶられた1冊だった。