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宝塚歌劇を続けて鑑賞して気付いたこと。

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2024年に『ベルサイユのばら』を観に行って以降、宝塚大劇場での公演は休むことなく観劇している。宝塚ファンの間で「別箱」と呼ばれる大劇場以外の公演には手を付けていないけれど、ニワカファンにしては頑張っているのではなかろうか。

こんなに続けて通っているのに私にはいまだ「推し」というものが存在しないし「◯組を贔屓している」ってこともない。花・星・月・雪・宙の組は私の中でザックリと「宝塚歌劇団」って枠の中にいる。

先日観た『GUYS AND DOLL』の感想を書いていて、ふと気づいたことがあった。「もしかしたら私はこの先、宝塚歌劇にどっぷりハマることは無いかもな…」と。

以前から公言しているけれど私は宝塚歌劇の中でもショーよりお芝居が好きだ。そもそも舞台鑑賞が趣味なので宝塚歌劇は「舞台鑑賞の一貫」って位置づけ。なのでどうしても鑑賞する視点がお芝居を観る人間のそれになってしまう。

宝塚歌劇の良いところはイッパイあるけど弱点だってある。その中の1つに「脚本の弱さ」があると感じている。

宝塚歌劇の根本には「男役を格好良く見せる」ってところがあるので仕方がないと言えばそうなのだけど、お芝居として観た時の説得力が弱いのだ。特に娘役の掘り下げがペラッペラで娘役は「刺身のツマ」みたい扱いであることが多い。

思えば…私が好きな宝塚の演目は原作付きでしかも宝塚にしては娘役が活躍する作品ばかりだ。

『ベルサイユのばら』『エリザベート』『風と共に去りぬ』は宝塚の看板公演ではあるけれど、どれもこれも女性(娘役)に大きなスポットが当たっている。

私自身が女性なので小説にしても舞台にしても映画にしても女性に心を寄せることが多いのだけど、宝塚の場合はどこにも気持ちを添わせることができない。

…とは言うものの。劇団にはそれぞれカラーがある。宝塚は男役を格好良く見せるための劇団であるのだから、それは致し方ない。

例えば…だけど私が一時期ハマっていた劇団☆新感線は看板役者の古田新太が主役を張ることをイメージして脚本が書かれるので、主人公のタイプは毎度「ちょっとエッチでおふざけが過ぎるけど、めちゃくちゃ強くてカッコイイ男」でヒロインは気が強かったり芯の通っている女性と相場が決まっている。

定番のお約束が分かっていてもなお、ファンがついていくのが劇団の興行なのだから、宝塚の脚本が男役ありきでも好みに合わないのなら行かなければ良いって話。

宝塚歌劇を追いかけ続けるのであれば特定のスターにハマるとか贔屓の組が出来るとかしないと難しいかも知れない…ってことに今さらながら気がついた。

とりあえず次の宙組公演はチケットが確保出来ている(しかもSS席)ので足を運ぶものの、それ以降の公演については今までのように様々な方法を駆使してまで取りに行かなくてもいいかな…と思いはじめている。

宝塚歌劇は生で観たら楽しいのだけど「コレジャナイ」を感じることが多いのも事実なのだ。

私は一旦好きになったらガーッと突っ込んでいくタイプなのだけど、突っ込んでいかないと見えない世界がある。私の中の宝塚歌劇のスタンスがどこに着地するのかはわからない、次の公演で身も心も捧げるほどに魂を抜かれてしまう可能性だってある訳だし。

続けられるかどうかはさておき。53歳にもなって大人げなく熱中することが出来たことはラッキーだな~と思っている。

宝塚歌劇感想
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日記
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