どんな作品でも、たいてい2、3度読めば堪能できるのに、ごくまれに親の敵のように再読を繰り返してしまう本がある。
季節ごとに読む本だったり、あるいはその作品を連想させるようなシュチュエーションと遭遇したりと言うような。落ち込んだり、駄目になりそうな自分を感じる時に手にする本もある。
運命の出会い……なんて書くと大げさ過ぎるかも知れないけれど。
本につきまとっている自分と、本につきまとわれている自分を感じる。
ほとんど縋るような気持ちで遠藤周作や有吉佐和子の作品を読んでみたり、謳歌する生を感じたいから壇一雄を紐解いてみたり。
本の世界は、どこまでいっても現実のものではありえない。あくまでも作り物。
なのに、その作り物の世界に浸ることで、現実世界と上手く折り合いをつけられるようになったり、現実世界がより一層素晴らしいものに感じたりするのだ。
ある意味において私は「本に依存している」のだと思う。
本がなくても生きてはいけるが、本を読まない自分など想像もつかない。
もし私が本に取り憑かれなければ、人格形成なんかも随分変わってきただろうなぁ……などと他人事のように思う。
「本に依存している」と書いたけれども、本との関係は「依存」のひと言では片付けられないようにも思う。
どんなに振り払っても、つきまとってくる本や、あるいはストーカーのようにつきまとってしまう本とは、出会うべくして出会ったのだと……運命の出会いだったのだと。そんな事を思ったりする。
運命の1冊に出会う幸せもあれば、運命の1冊に出会う不幸せもある。
ズラズラと屁理屈を並べてしまったけれど、私にとって本を読むことは「1番の趣味」なのだと思う。それ以上でもそれ以下でもない。
もちろん、その趣味に懸ける情熱はかなりの物なのだけれど。
履歴書や釣書の趣味欄を書く時に「たいした趣味もないし、とりあえず趣味は読書って書いておくかな」なんてノリで趣味は読書を名乗っている訳ではないのだ。
「だって好きなんだもん」読書について語ると結局、そのあたりにに落ち着くらしい。