禅宗の僧侶である主人公と妻。そして拝み屋の婆さまを軸にした物語。
題名になっている「中陰」とは、この世とあの世の中間地点のことらしい。
丹波哲郎の言う「あの世とこの世は陸続き」と、似ているのか? なんてことは、ともかくとして、よく分からない話だった。
中陰の花
自ら予言した日に幽界へ旅立ったウメさんは、探し物を教えてくれる“おがみや”だった。
臨済宗の僧侶である則道はその死をきっかけに、この世とあの世の中間=中陰(ちゅういん)の世界を受け入れ、みずからの夫婦関係をも改めて見つめ直していく──
アマゾンより引用
感想
だいたい「生死感」なんて厄介なものがテーマになった小説は、たいてい訳が分からないものと相場が決まっている。
その上に「仏教感」が登場して、オカルティックな要素が入ったらしたら分からないを通り越して、投げ出したくなってしまった。
これは面白いとか、そうでないとか、良いとか悪いとか、そういう問題ではなくて、考えたって分かるはずがない……という意味で。
玄侑宗久は、この作品で芥川賞を受賞したとのことだが、なんだか意外な気がした。
問題定義的というか、テーマ的には「なるほど」と思ったけれど文学的にというか、読み物として考えたなら芥川賞が取れるような作品かどうか、ちょっと疑問に感じてしまったのだ。
これもまた、流行なのかも知れないけれど。ちょっとばかり「いまさら」という気がしなくもないのだが、どこまで行っても、日本人はこのテの話が好きなのかなぁ……と思ったりして。
私の感覚的には好きではないのだが、興味深いのも確かである。
表題作よりも、むしろ収録作品である『朝顔の音』の方が理解できたが、こちらは、後味の良い作品ではなかった。
2本とも、やや薄ら寒い印象を受ける作品だった。
これは玄侑宗久の持ち味なのか、それとも作品の持ち味なのか……とりあえず玄侑宗久の作品を、あと1~2冊は読んでみたいと思った。