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毒親育ちに捧ぐ。親の屍を越えて行け!

むかしむかし。『俺の屍を越えてゆけ』と言うゲームがあった。

『俺の屍を越えてゆけ』は世代を越えた壮大なゲームだった。ゲームヲタクだった私は相当やり込んでプレイしたものだけど、45歳になった今頃になってしみじみ感じるところがある。

一般的に人間は生まれ落ちた環境と、育ててくれた人から受ける影響が大きいと言われている。「貧困の連鎖」もそうだし「DQNの子はDQN」なんて発想もそれに基づいている。実際「親が親なら子も子」みたいな例はそこら辺に転がっている訳だけど、私はあえて言わせてもらう。

親と子は別人格。毒親育ちだからって、絶望的にならないで欲しい。

私の実母は控え目に言って毒親の部類に入る。父は飲んだくれで下半身の残念な人で肝臓を壊して死亡した。母は病弱を理由に40代で家事放棄。そのくせ70歳を越えても死ぬ気配は無い。当時の私は「子どもにはよく分からないけど仕方がない事なんだろうな」と素直に受け入れていたけれど、45歳を過ぎた今になって確信した。

私の親は2人とも毒親だったな…と。

ついでに言うなら母方の祖母は鬱病をこじらせて自殺している。

そう言った経緯から私はこの年になるまで怯えていた。「私もいつか母や祖母のように駄目人間になったり自殺するに違いない」と。

私は子どもの頃から実母が大嫌いだったし、それは今でも変わらない。そのせいか、ずっと「結婚して子どもを産む」と言うことに抵抗があった。「私に似た子が産まれたら、その子は絶対に母親を憎むだろうな」と言う確信があったからだ。しかし娘を産んでみて、その考えは一変した。何故なら親と子は別人格なのだから。

娘は私と似ていない。対局にいる人間と言ってもいいほどだ。

運動が苦手で本が友達。集団行動が大の苦手な私の娘は、超体育会系でコミュ力の高い人間に成長しつつある。

夫も私もガチなヲタクなのに娘にヲタク要素は全く無い。娘が赤ちゃんの頃から浴びるほど本を読ませてきたため、娘は辛うじて本好きの子に成長してはいるものの、娘から私の片鱗を探すこのは難しい。

黄金週間中、娘は1人で2泊2日のキャンプに参加したのだけれど、そこで仲良くなった初対面の子達と住所交換をして帰宅した。娘は私が出来なかった事をひょいひょいと簡単にやってのける。私はそんな娘の姿を目の当たりにして「私に似た子が産まれたらどうしよう」と悩んでいた自分を恥じた。

私は実母と似ていない。娘も私と似ていない。

「子は親に似るものだ」と言う説を全否定する気はないけれど、残念な親の元に産まれた子どもが残念な人生を送るとは限らないと私は思う。

少なくとも私は毎日楽しく暮らしているし。母や祖母とは全く違う人生を送っている。私はすでに実母や祖母が「人として完全にアウト」になった年齢を超えていて「もう大丈夫」と言う確信がある。

今を生きる人達は親の屍を越えて行って欲しい。

育ててくれて親から嫌なものを沢山受け取った人間が、それを次の世代に伝えない事は可能だと思う。親なんて踏んづけていけば良いのだ。倫理的には知らないけれど、それが自然の摂理と言うものだ。

毒親育ちの人こそ幸せになって欲しいと心から思う。

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日記
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白い木蓮の花の下で
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