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宝塚歌劇における客席とのアドリブについて思うこと。

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宝塚歌劇には客席とのアドリブってお約束が存在する。

アドリブは全ての公演で行われる訳ではないけれど舞台や銀橋、あるいは客席通路に降りたタカラジェンヌが芝居の役として観客とコミュニケーションを取ることがある。

例えば、こんな感じ。

人探しをしている場面で登場人物が客席に降り、観客に人相書きを見せながら「そこの方、この顔に見覚えはありませんか? えっ、あっちへ走って行ったって? 流石は三井住友VISAカードをお持ちのお客様だ」

……など、企業の貸切公演だったりすると、企業名をアピールするし、そうでない回の場合、季節だったり観客に合わせたアドリブを入れる。アドリブは観客と舞台とを繋ぐツールとして素晴らしいと思うし、私もアドリブが大好きだ。

しかし。宝塚歌劇の場合、他の舞台と違ってアドリブに身内を入れてくることがある。別の組のタカラジェンヌだったり、宝塚歌劇を卒業したOGが観劇している回は必ずと言って良いほどタカラジェンヌをアドリブに入れてくる。

タカラジェンヌをアドリブに入れるとディープな宝塚ファンには大ウケするし盛り上がるのだけど、私は良い印象を持っていない。むしろ「それって舞台人としてどうなんですか?」とさえ思っている。

観劇するにはお金が必要。観客はそれ相応のお金を払って舞台を観に来ているのだから、一部の観客しか理解できない身内ノリで盛り上げるのってどうなんだろう? プロ意識が低過ぎやしないだろうか?

貸切公演を主催した企業に対してアドリブで企業名を入れるのは分かるのだ。何故なら貸切公演だから、観客達は何某かの形で企業のことを認知しているし、そもそもスポンサーがいなければ舞台は成り立たなくなるのでスポンサーを大切にするのは理解できる。

だけど、身内を大事にするのは話が別だ。

舞台を観に来ている人の中には初めて宝塚歌劇を観に来た人もいるだろうし、修学旅行生だっているかも知れない。「宝塚歌劇は好きっちゃ好きだけど年に1度のお楽しみ」くらいのライトな層もいると思う。ディープなファンだけでなく「ディープなファンになるかも知れないライト層」を大切にしない娯楽はいつか滅びる。

私は、そうしたライト層を粗雑に扱った結果、衰退の道を爆進しているクラシック業界を見ているだけに「宝塚歌劇だけは大丈夫」だなんて、とても思えないのだ。

演劇やミュージカルが無くなっても人は生きていける。生きるために必要でない娯楽が生き残っていくためには慢心している場合ではない。

私は宝塚歌劇が大好きだけど、久しぶりに熱を入れてみると界隈の嫌な部分も目についてきた。愛しているからこそ末永く続いて欲しいと思っているので、ぜひともライト層の観客も丁寧に扱っていただきたい。

身内だけで盛り上げるのはほどほどに。舞台はそこにいる全ての観客のためにあって欲しいと願う。

宝塚歌劇感想

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宝塚歌劇
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