今年は摂食が難しい複数のお子さんと関わっている。
毎年、摂食が難しいお子さんと向き合ってきたけれど、現在関わっているお子さんはなかなか手ごわい。ST(言語聴覚士)さんと連携しながら手を変え品を変え日々格闘している。
健常児とか定型発達と言われるお子さんにも「食べ物の好き嫌いがある」「思うように離乳食が進まない」というお悩みはあるかと思うのだけど、知的障害や発達障害があって感覚過敏やコダワリが強いお子さんの場合、一般的なお子さんの「食べない」とは根本的に違っている。
5歳、6歳でも哺乳瓶を使ってラコール(総合栄養剤)を摂取しているお子さんもいれば、鼻注や胃ろうを用いて栄養摂取しているお子さんもいる。
福祉的な考え方からすると「本人の困りごとに寄り添って支援る」ってところがベースにくるのだけど、実のところ本人は口から物を食べなくても困っていないし、そもそも食べたいと思っていないのだ。鼻注なり胃ろうなりで栄養を摂取することができるので口から食べなくても死なないし、嫌いな食事をしなくて良いなら食べたくないよね…って話。
だけど親御さんの願いは「口から物を食べて欲しい」ってことろにフォーカスされる。「人間として口から物を食べて欲しい」「食べることの楽しみを知って欲しい」って気持ちはよく分かる。
食事の時間が苦痛で仕方がないと思っているお子さんに「どうにかして食事をして欲しい」と手を変え品を変え、食事介助をるのって、正しいことなんだろうか…と言うジレンマに陥ることがある。
強烈な感覚過敏等が理由で摂食に問題がある人間は昔から一定割合でいたと思うのだけど、医学が発達していない時代は口から物を食べられない人間は死んでいた。だけど現代はそうじゃない。口から物を食べなくても命を繋ぐことは出来るのだ。
福祉の世界にいると「本人が困っていないのに支援しなきゃいけない」って自体に直面することがあるの、もしかしたら「あるある事案」なのかも知れない。
生活保護のケースワーカーをしているFも「本人は困っていないから…って言うんだけど、こっちが困っちゃうんだよね」という例を話してくれることがある。
例えば電気代を滞納して電気が止められてエアコンが止まったとする。「生活保護費から電気代を払って電気を再開させしょうね」と言う方向に持っていっても本人は「電気がこなくても大丈夫です。私は気にしないので」みたいな。「いやいや。あなたは気にしないって言うけど、エアコン無しで夏は乗り切るのは無理でしょ?熱中症で死なれたら担当のは困っちゃいます」みたいなこと。だけど本人は本気で「困っていないし放っておいてください」と思っている。
「本人が困っていないことに対して介入するのは支援の範疇に入るのか?」ってところは難しいところだ。
「口から物を食べて欲しい」と言う親の気持ちと「とにかく食べたくない」って子どもの気持ち。どちらに寄り添うのが正しいのか? 私はいまだ納得のいく答えを出すことが出来ないでいる。

