嫁姑文学の金字塔を挙げよといわれれば、私は真っ先に『華岡青洲の妻』を思い浮かべる。それくらいに「嫁姑」の描写が凄い。
独身者の私には「嫁姑」について実体験を語ることは出来ないのだが、それでも何某か感じてしまう部分が多い作品なのだ。
久しぶりに再読したが何度読んでも飽きがこない。それくらい面白い。
華岡青洲の妻
世界最初の全身麻酔による乳癌手術に成功し、漢方から蘭医学への過渡期に新時代を開いた紀州の外科医華岡青洲。
その不朽の業績の陰には、麻酔剤「通仙散」を完成させるために進んで自らを人体実験に捧げた妻と母とがあった――
アマゾンより引用
感想
『華岡青洲の妻』のメインは嫁と姑が自ら進んで麻酔薬の人体実験を名乗り出るところにある。
ドロドロとした嫁姑の関係の描き方の見事さは他の追随を許さぬほどの出来なのは、今さら語るべくもない。
今回再読してみて印象に残ったのは、嫁姑という関係よりもむしろ妻と夫、あるいは母と息子という関係の違いについての描き方だった。
ネタバレで恐縮だが青洲は結局、母にも妻にも麻酔薬の実験を施すのだが、母には危険の少ない薬を用いたのに対して、妻には危険度の高い薬(実際、妻はその副作用で視力を失う)を用いたことに注目したい。
作品の中では表面上で「妻が姑に勝った」というような風に描かれているが、突き詰めて考えれば夫は妻よりも母の方が大切だったのか……と思われる部分が、あちこちに仕込まれている。
女性の立幅からすると「男って生き物は…」って感じではあるのだが、男を責めるのは筋違いだと思う。
何故なら「夫と子供しか助からい状況になったら、どちらを助けますか?」とい質問に対して、たいていの女性はキッパリと「子供です」と答えてしまうのが現実なのだから。
夫は「子供はまた作れるが、妻は1人なので妻を助ける」という人が多いにも係わらず……である。
この作品は、嫁姑問題だけでなく男と女の愛のありようの違いが鮮やかに描かれていると思う。
産む性と、そうでない性の間には、どうしようもないほど深い溝があるのだなぁ……と感じずにはいられない。
また再読してみて改めて面白く思ったのは、婚期を逃し、乙女のまま死んでいった小姑の生き様とその主張。
ここでは「家」とか「家族」について、あれこれ考えさせられたが、これを書き出すと感想文が散漫になり過ぎるので今回は割愛する。
機会があれば、ここだけに焦点を当てて、また書いてみたいものだ。
色々な見方、読み方があるけれど、この作品は多くの人から読み継がれるに耐えうる名作だと思う。