年末になると夫と「宝くじ当たったらどうする?」って話をする。宝くじが当たるなんて思ってないけど「もし、当たったら…」と使い道を想像するのは楽しい。
…とは言うものの。実のところ1億円当たったとて我が家の生活は大きく変わることはない。
我が家は築50年を越える古屋に住んでいるので1億円が当たったら5000万円くらい使って新築一戸建てを建てると思う。残りは貯蓄。
5000万あれば娘の学費は困らないだろうし、夫が定年まで働いてくれるのであれば老後の資金も安泰だろう。
1億円あれば私はもうパートなんてしなくて良い身分になる。専業主婦に戻れば良いのだ。だけど「じゃあ、仕事辞めて専業主婦になったら幸せになれるの?」と自問自答した時、私は首を縦にふることができない。
金銭的な意味で働く必要が無かったとしても私は仕事を続けると思う。
放課後等デイサービスを辞めて医療型児童発達支援センターに転職する時、退職と入職のタイミングの都合で1ヶ月自由な時間があった。その時は家のDIYに励んだり1人で宝塚や美術館に行ったりして楽しく過ごすことが出来たけれど、あれは「1ヶ月後に働く」って事が分かっていたからだと思う。
子育てが一段落したいまの状態での専業主婦生活は私の性分には合わない気がする。
だけど娘の学費や老後の資金の心配がない状態だったら、今の職場でも今より大らかな気持ちで働ける気がする。数年前に「生ハム構文」ってのが流行ったアレと同じだ。
生ハム原木が家にあると、ちょっと嫌なことがあっても「まあ家に帰れば生ハム原木あるしな」ってなるし仕事でむかつく人に会っても「そんな口きいていいのか?私は自宅で生ハム原木とよろしくやってる身だぞ」ってなれる。戦闘力を求められる現代社会において生ハム原木と同棲することは有効 pic.twitter.com/SNwQiMoGvN
— えすきち (@flowertoman) July 8, 2019
- 私は働かなくてもいいんだ!
- いつでも辞めることができるんだ!
- 何なら資産だってバッチリあるんだ!
……なんて言う心の余裕があれば、穏やかな気持ちで働けるのではないだろうか? 昔から言う「金持ち喧嘩せず」って言葉があるけれど、ホントそれ。
「金持ち喧嘩せず」の本来の意味はは「金持ちは利にさとく、けんかをすれば損をするので、人と争うことはしない。 または、有利な立場にある者は、その立場を失わないために、人とは争わない」って事だけど、実際に私が接してきたお金持ち達は穏やかな人が多く、それは利を重んじているから…って言うより、心の余裕があるからのように感じる。
「お金に余裕があっても働くだろう」と思ってしまうのは、私が本質的に貧乏性だからだと思う。止まったら死ぬ…そんな気がする。