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本当にあった座敷牢の記憶。

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これはFの家で春野菜の収穫をして、ワラビだの筍だのを戴いた夜の話。

筍は毎年1度は食べているけれどワラビは買ってまで食べる習慣がないので、夫も私も10年ぶり以上にまともなワラビを食べた。

久しぶりに食べたワラビの味は独特の風味があって絶品だった。実は夫もワラビは結構好きだとのこと。

「ワラビって、わざわざスーパーで買ってまで食べたいとは思わないけれど、子どもの頃におばあちゃんちで食べたよ」と夫。私も実家ではワラビを食べる習慣は無かったけれど、祖母が存命中には季節に1度は食べていた。

祖母は鹿児島県の山奥の出身。

祖母の出身地は嘘か本当かは知らないけれど平家の残党が作った村だと伝えられていて、農民のはずなのに曾祖母の家の物置には何故か古い刀が沢山あった。

私は子どもの頃、祖母はしょっちゅう曾祖母のいる実家に遊びに帰っていて、田舎の食べ物を大阪に持ち帰っては孫達に振る舞ってくれた。

私も小学生の中学年頃までは鹿児島の田舎に遊びに行かせてもらっていた。

祖母の実家はそれこそ『まんが日本昔ばなし』に出てくるような山里で、祖母はいつも畑を荒らすイノシシと戦っていた。山には筍とワラビ。自然の恵みと共に生活していて、集落には定期的に軽トラックで日常品を売りに来る業者が来ていた。

昭和50年代だったけれど、お風呂はまだ五右衛門風呂だった。

「ワラビが採れるところって、マムシがいて危ないんだよね。死んだおばあちゃんが口を酸っぱくしてマムシの怖さを話していたよ」などと思い出話を夫に話しはじめた瞬間、忘れていた記憶が一気に蘇ってきた。

曾祖母の家には座敷牢があった……って事を。

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座敷牢の話

これは私の作り話ではなく、本当にあった話だ。なので「座敷牢」と言ってもホラーめいた内容ではない。

ただ昔話ではなく昭和と言う時代にあったことかと思うと微妙な気持ちになってしまう。

曾祖母の家にあった座敷牢は座敷牢と言っても鉄格子がハマっている訳ではなかった。

座敷牢は居間の奥にひっそりと作られていて、家族以外の人間は「そこに部屋がある」とは分からない作りだった。隠し部屋と言うヤツだったのだと思う。

パッと見にはその奥に部屋があるとはわからない作りになっていて、壁とも扉ともつかない戸板を押して奥に進む形式になっていた。イメージとしては忍者屋敷のどんでん返しになる壁に似ている感じ。

曾祖母の家はそれほど裕福ではなかった(貧乏でもなかった)と思うのだけど、今にして思えばどうやって隠し部屋を作ったのか不思議に思う。

奥には座敷牢と座敷牢にいる人専用のトイレがあったと記憶している。お風呂はどうしていたのかは知らない…と言うか覚えていない。

もしかしたらお風呂もあったのかも知れないけれど、私が遊びに行った時は表側にあるトイレやお風呂を使っいてたので、座敷牢へ続く壁の奥のキッチリした間取りは記憶していないのだ。

ただ、トイレについては興味半分で見に行ったことがあった。

不思議と当時の最新の設備が整っていて「いつも使ってるのより新しくて良いな」と思った覚えがある。表のトイレは今ではすっかり見掛けなくなった和式の怖いトイレ(汲取式)だった。

座敷牢の主は祖母の兄

座敷牢には祖母の兄が生活していた。

祖母の兄はマムシに噛まれて頭がおかしくなったのだと教えられていた。

祖母の兄は青年期にマムシに噛まれるまでは田畑を耕して普通に生活していたらしい。マムシに噛まれたのがキッカケで頭がおかしくなったと聞いているけれど、本当のところはよくわからない。

もしかしたら、本当は何らかの精神疾患を発症したけど世間体的な意味合いから「マムシに噛まれたせいでおかしくなった」ってことにしていた可能性もあるかも知れないな…と思ったりもする。

祖母の兄は隠された6畳間の座敷牢に1人でいて、1日中ずっと歌いながら踊っていた。

日本舞踊のような踊りで歌の内容はよく分からなかった。

踊っていない時は、ただぼんやり座っていて、テレビを観たり本を読んだりはしなかった。

彼が会話をしているところは1度も見たことがなく、食事も座敷牢の中で1人きりで取っていた。

祖母や母からは「怖そうに見えるけれど、何もしないし優しい人だよ」と言われていたけれど、私は言葉の通じないその人が怖くてたまらなかった。

だけど怖いもの見たさで様子をのぞきに行くこともあった。

お盆に食事を乗せて部屋に運んだこともある。

彼は食事を運んでも知らん顔で踊っていた。そしてしばらくして見に行くと、お盆に載せた食事は空っぽになっていた。

昭和50年代の話なのだけど彼はいつも浴衣(着物?)を着ていて「昔の人みたいだな」と思った覚えがある。洋服を着ている姿は1度も見たことがなかった。

彼は他の家族とは全く別の生活をしていていたけれど、粗略に扱われている感はなかった。まるで彼1人だけ別の次元で生きているような…そんな感じだった。

私はこの年になるまで、どうして忘れていたのだろう?

座敷牢で秘密裏に生かされている人

夫にその話をすると夫は微妙な顔をしていた。「なんか怖い話だね」と。

昔は現代のように社会福祉制度が整っていなかったから「家族の中で秘密裏に生かされている人」は意外と多かったのかも知れない。

調べてみたところ、昔は精神科病院や精神科病棟は不足していて「私宅監置」と言う風習があったそうだ。

私宅監置(したくかんち)とは、日本にかつて存在した、精神障害者(当時は精神病者と呼んだ)に対する制度で、自宅の一室や物置小屋、離れなどに専用の部屋を確保して精神障害者を「監置」することである。

Wikipediaより

私宅監置は1950年の精神衛生法施行にて私宅監置が禁止されているが、曾祖母の家にあった座敷牢は私宅監置の名残だったのかも知れない。

座敷牢にいた祖母の兄の場合、特に面倒をかけている風でも無くて大人しい人だったので出来た事なのかも知れないけれど。

「あの子が生きているうちは死ねん」と言っていた曾祖母が亡くなり、しばらくして座敷牢にいた祖母の兄も亡くなったと聞いている。

曾祖母の家はもう誰も住んでいない。廃屋化しているのか、それとも取り壊したのか。

今さら思い出したところで、どうになるものでもないのだけれど、誰かに聞いてもらいたくて書いてみた次第。

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日記
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