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哀しみを肩代わりする事は出来ない。

朝、娘を見送りに外に出たら、近所の主婦仲間から「ちょっとショックな事があったから話を聞いて欲しい」と呼び止められた。

同世代で仲の良い人のご主人が急死されたとのこと。まだ40代。当然ながら子ども達はまだまだ幼い。電話で知らされたらしいのだけど「こんな事聞かされても困るだろうけれど、黙っているのもオカシイと思って……」と報告を受けたとのこと。

「人の命は何よりも思い」とか「命の重さは等しく同じ」と言うけれど、個人的に後者は違うと思っている。

倫理的な意味からうると、そうあるべきだと思うけれど、たとえば107歳で亡くなった夫の祖母と、家庭持ちで40代の働き盛りの男性のどちらか1つの命を助ける事が出来るのなら、たとえ身内であったとしても私は夫の祖母でなく40代の男性を選ぶと思う。

若くして人が亡くなるのは辛いことだ。

働き盛りのお父さんのと突然死なんて、全国的なレベルで言うなら「よくあること」なのだと思う。そして夫を亡くした人はそれでも必死に働いて子どもを育てていくのだろうし、それはそれでどうにかなっていくって事は分かっているけれど、その哀しみは察するに余りある。主婦仲間は「もう、なんて言葉をかけていいか分からなくて……」と言っていた。

実際、どんなに慰めの言葉をかけても、夫をなくした人の哀しみを肩代わりする事なんて出来る訳がないのだ。

強烈な哀しみに見舞われた人に対して、周囲にいる人間は実に無力だ。慰めの言葉を言ったところで、どうになる訳でもないし、元気付けようと楽しい事に誘ってみるとしても逆効果になる場合もある。

出来る事と言ったら、ただ寄り添って話を聞くことくらいだろうか。主婦仲間とも「一緒にお茶飲んで話を聞いてあげるくらいしか出来ないよね……」と話をした。

親しい人が哀しみのドン底にいる時に「何か手助けしたい」と思う事があるけれど、実際は何も出来ない事の方が多い。こういう時ってどんな風に対応するのがベストなのだろう?

私には「ただ寄り添って話を聞く」くらいしか思いつかないのだけど他に良い方法があるのだろうか? 生きていると楽しい事や素晴らしい事も沢山あるけれど、それと同じくらい……もしかしたらそれ以上に辛い事に遭遇す気がする。それでも人は生きねばならない。

日々を大切に生きていこうと思う。

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日記
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白い木蓮の花の下で
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