なかなかおもしろい作品だった。
昭和後期に子ども時代を過ごした大人なら、そこそこ楽しく読める作品だと思う。
特急こだま東海道線を走る
文庫化するにあたり『純喫茶』に改題されています。
- 舞台は1960年代の日本。
- 姫野カオルコの子ども時代の思い出をベースにして書かれた短編集。
- ノスタルジックな思い出が色濃い作品。
作り的には江國香織『スイカの匂い』と似たり寄ったりの印象を受けたが『スイカの匂い』よりも甘ったるい部分を取っ払った感じで子供の視線で見た世界が描かれている。
子供の残忍性よりも、むしろ1個の人間として確率された「子どもの視点」だが、しかし「家庭」だの「友達」だの「学校」だの「近所」だのといった極めて狭い世界に住む価値観でもって、世界を見ているところが面白かった。
子どもは何も分かっちゃいないようでいて、実はなんでも知っている……というような描き方をするのが定番の形だとするならばこの短編集に登場する子供は、非常に大人びたところがある反面、やはり「子どもは子どもに過ぎない」であることを感じさせてくれた。
私は子供を1個の人間として、扱うことに関してはは大賛成。
昨今の子どもをテーマかかれた小説で、あまりにも子どもを過大視し過ぎるのには、どうだろうかと疑問に思っていたので、この作品に登場する子供の持つアンバランスさや、未熟さは、とても気持ちの良いものに思えた。
作者の作品には批判精神があるというか、少しひねくれた物の見方が魅力的なのだが今回は、ちょっと趣向が違っていて、いつものような味わいに加えて「そういう人達」を愛しむような部分が感じられた。
本編の内容とは、まったく関係のない余談になるのだが、この作品で書かれている関西弁はリアリティがあって、関西人としては好感が持てた。
小説などに関西弁を登場させる作家さんは、何人かおられるが宮本輝や、田辺聖子あたりでは、少し時代が古くて現実的ではないし中島らもあたりになると、吉本興業的な面白さを重視した関西弁になってくる。
デフォルメの強い関西弁はどうも日常生活と掛け離れていて、居心地が悪いような気がしていたのだけど、姫野カオルコの書く関西弁は代的にも身近に感じられて作りすぎもせず、汚すぎもせず、丁度良いように思う。
少し華やかさには欠けるが、面白い短編集だと思った。
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