『西の魔女が死んだ』は、ちょいと前に、この日記の掲示板(現在、掲示板は閉鎖していす)で「生きると死ぬってなんですか?」というテーマで盛り上がっていた時、何人かの方が「お気に入りの1冊」だと話していたのでせっかくの機会にと、読んでみることにした。
ジャンル的には「児童文学」なのだと思う。
主人公は少女。物語の鍵を握るのは少女の祖母(西の魔女)「おばあちゃん、大好き」 「アイ・ノウ」この2つの言葉が、何度も何度も繰り返される中で物語はゆるやかに流れてゆく。
西の魔女が死んだ
中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。
西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも…。
アマゾンより引用
感想
いわゆる「成長小説」なのだと思った。
少女が成長していく過程を切り取って物語りを編む。もちろん、成長するには栄養が必要な訳で、その栄養を与えてくれるのが、少女の祖母なのである。
私は物語の筋書きより、むしろ「おばあちゃん」の生き方に心惹かれた。
周りからは、やや古臭いと思われることも多いようだけれど彼女は自分というものを、しっかり持っていて日々の生活をを淡々と、しかし確かな手ごたえを感じながら暮らしている。
そんな彼女の言葉は、なるほど納得の、ひと言に尽きた。
自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって誰がシロクマを責めますか?
……そりゃ、そうだ。シロクマを責める人なんていないだろう。
もしも責める人がいたとすれば、そりゃぁ、人でなしってもんだ。そうだよね。うん。そうだ。楽な生き方を求めるのは悪いことぢゃない。
春になったら種から芽が出るように
それが光に向かって伸びていくように
魂は成長したがっているのです
……そうなのだ。魂は成長したがっているのだ。
だから、停滞しているのを感じると、なんとなく焦っちゃったりするのだ。働かないアリになりたいとか、そんなことを考えている場合じゃない。
成長したがっている魂の足を引っ張ったりしちゃダメじゃないのか?
思わず1人でうなづいて、納得してしまったりす言葉の数々は、ある意味おいて哲学的な香も漂っていたりなんかして言葉そのものよりも「考えるキッカケ」となるものだったように思った。
おばあちゃん(西の魔女)は孫娘の少女と読み手に様々な問いを投げかけて、大きな贈り物を残して去って逝くのだ。
宝箱の中で輝くオハジキのように、新緑に輝く朝露のように、おばあちゃんの言葉は少女の心に輝き続ける……
素敵だなぁ~と思う言葉や、場面はいくつかあったのだけれど、作品の中を通して、私が1番気に入ったのはコレに尽きる。
「おばあちゃん、大好き」
「アイ・ノウ」
愛情あっての繋がりであり、繋がりあっての成長であり。
生があり死があり、様々なことが流れていく中で、受け継がれたり、受け継いだり……気持ちを伝えようとしたり、その気持ちを受け取ろうとしたり……素直にに「いいなぁ」と思った。
「大好き」って言葉は気持ちがいいなぁ。
「大嫌い」を集めるより「大好き」を集めた方が楽しいってもんだ。ひょんなきっかけから、いい本と出会えて良かったと思った。