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映画『銀河鉄道の夜』感想。

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映画『銀河鉄道の夜』は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をアニメ映画化した作品。

公開された当時は賛否両論でどちらかと言うと否定派の方が多かった気がする。ただ影響力はあったようで『銀河鉄道の夜』と言えば「猫が宇宙を旅する話でしょ?」と真顔で言う人が実際にいたほど、当時の認知度は高かった。

私は宮沢賢治が大好きだ…って事もあって『銀河鉄道の夜』は私にとって特別な作品。登場人物が猫になっているけれど、個人的にはアニメ映画版の『銀河鉄道の夜』もアリだと思っている。

20年以上ぶりにケーブルテレビで視聴した。

今回は定番の名作が原作なので、ネタバレには配慮しません。ネタバレNGの方はご遠慮ください。

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銀河鉄道の夜

銀河鉄道の夜
監督 杉井ギサブロー
脚本 別役実
原作 宮沢賢治
原案 ますむらひろし
アニメーション製作 グループ・タック
製作総指揮 ゲイリー・ゴーツマン
出演者 田中真弓
坂本千夏
大塚周夫
常田富士男
音楽 細野晴臣

あらすじ

主人公は病気の母親と暮らす少年ジョバンニ。漁師の父は仕事で常に不在。ジョバンニは父親がいない事をからかわれ、学校ではクラスメイト達からいじめられる毎日を送っていた。

その日。ジョバンニの村では「星祭」と言う祭りが開催されることになっていた。クラスメイトが祭りの相談をする中、ジョバンニはアルバイト先の活版所へ向かう。

仕事が終わったジョバンニは病気の母親に飲ませるための牛乳を取りに牛乳屋へ行くが、後で来るように言われ、牛乳屋を後にする。

途中でザネリたちに会ってからかわれれたジョバンニは黒い丘の方へ向かった。

どこからともなく「銀河ステーション、銀河ステーション」と聞こえたかと思うと、ジョバンニは銀河鉄道に乗っていた。そして、カンパネラも。

ジョバンニのカンパネラは銀河鉄道で様々な人と出会い、大切なことを話し合う。

「どこまでも一緒に行こう」と言うジョバンニに対して、カンパネラはいつも困り顔をしていた。カンパネラは「母親に幸せになるためなら自分の身体は蠍の火に焼かれてもいい」と言うのだが、ジョバンニにはイマイチ理解出来ない。

そして、旅の途中でカンパネラは姿を消し、ジョバンニはいつの間にか黒い丘に戻っていた。牛乳屋で牛乳を受け取ったジョバンニは帰路につく。

家への帰宅途中、ジョバンニはカンパネラが川で溺れたザネリを助けようとして、川に沈んでしまった事を知る。カンパネラの父親はジョバンニに優しく声をかけ、明日遊びに来るようにと告げる。

ジョバンニは牛乳を抱えて家に帰るのだった。

何故、猫なのか?

アニメ映画版『銀河鉄道の夜』が嫌いな人は一定数いる。そして彼らは「そもそも登場人物が猫ってところが無理」と言う。

……分かる。確かに原作の『銀河鉄道の夜』とは違う雰囲気。ちなみに私の中でのジョバンニとカンパネラのビジュアルはは、名作劇場で放送されていた『ロミオの青い空』のロミオとアルフレドがドンピシャだと思っている。

アニメ映画として『銀河鉄道の夜』を作る時、原作者にますむらひろしを選んだ時点で、登場人物は「猫」でしかありえなかった。ますむらひろしの描く作品の登場人物は全て猫。

途中、タイタニック号の沈没をイメージしたキャラが出てくるのだけど、彼らだけ猫ではなく人間として描かれている。そこだけはタイタニック号の被害者に配慮した…とのこと。

猫と人間を混ぜてまで「猫」にこだわったのだから、これはもう仕方がないとしか言いようがない。

音楽が秀逸

『銀河鉄道の夜』が公開された時、話題になったのは音楽だった。

当時、シンセサイザーで作られた音楽はまだまだメジャーではなかったので、細野晴臣が作曲してシンセサイザーの曲は日本人にとって衝撃的だった。

全編、なんとなく人の心を不安にさせるような音楽は『銀河鉄道の夜』の不思議で不気味な世界観に合っていたと思う。

綺麗…と言えば綺麗な曲ばかりなのだけど、聞いているとどこか歪で居心地が悪い。

主人公のジョバンニは訳の分からないまま銀河鉄道に乗り、カンパネラや旅の途中で出会った人達の言葉を理解できないまま旅を終える。

細野晴臣の音楽は心の中にずっとモヤモヤを抱えていたジョバンニの心とよく合っていたと思う。

退屈っちゃあ退屈

さて。アニメ映画版『銀河鉄道の夜』は意外と原作を忠実に再現している。

大事なポイントはしっかり押さえてあるし、宮沢賢治の謎の宗教感も盛り込んでいる。それだけに「面白くない」と感じる人がいるのも仕方ないかな…とは思う。

細野晴臣の居心地の悪い音楽に合わせて十字架に向かって歩く死者の行列を眺めるとか、鬱でしかない。

そして正直、私もカンパネラとかタイタニック号で沈んだ家庭教師の言い分は賛同出来ないし。自己犠牲とかホント勘弁して欲しい。

……とは思うものの、何故か宮沢賢治の世界には猛烈に惹かれてしまうから不思議だ。もう理屈じゃない。ハートで感じて欲しい。「なんか…いい」それだけでOK!

「人の生き方とは?」「本当の愛とは?」なんて事を考えてみるのも良いと思う。

昔の記憶との相違点

私は20年以上ぶりに『銀河鉄道の夜』を観たのだけれど、ほぼ記憶していた通りの内容だった。

ただ、映画を観た時に自分脳内で妄想を加えていたらしく、過去の記憶と印象の違う場面がちょいちょいあった。

1番ビックリたのが鳥取り絡みの場面。

鳥取りが捕まえたサギを袋から出して、サギをポキっと折ってジョバンニとカンパネラに食べさせるのだけど、私の記憶の中のサギは夢のように美しく、サギの味は幸せを感じるほど美味しい至福の味わい…って感じだったのだけど、実際の場面はそうでもなかった。

むしろ、麻袋の中に詰まっていたサギはちょっとグロいと思ってしまった。

どこでどう記憶が書き換えられたのかは謎だけど、この場面以外にも「なんか違うんたよなぁ」と感じた場面がいくつかあった。

なんだかんだ言って名作アニメだと思う

アニメ映画版『銀河鉄道の夜』は宮沢賢治の原作とは別物として楽しむのが良いと思う。

……と言うのも、原作の『銀河鉄道の夜』は抽象的な表現が多く「あなたの脳内で補完してくださいね」と言う要素が強いので、原作の好きな人は脳内で自分自身の想像力で作った『銀河鉄道の夜』が完成していると思う。

たぶん『銀河鉄道の夜』は読む人の想像力で作った私(俺)だけの『銀河鉄道の夜』が最高だし、それ以外の創作物は「まあまあくらい」でしかない。

アニメ映画版『銀河鉄道の夜』は制作スタッフ陣の脳内で完成された「俺たちだけの銀河鉄道の夜」なのだと思う。

アニメ技術的には現在のアニメ作品には敵わないけれど、アニメーションと言い、音楽と言い、30年以上経った今でも充分に通用する作品だと思う。

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