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猫の思い出。

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昨今、猫カフェなる物が流行っているけれど、私が住んでいる市にも猫カフェが出来た。

昨日の日記にも書いたけれど、私の住んでいる市は大阪と言ってもパッとしない街だ。「こんな場所に猫カフェなんて作って、やって行けるの?」と思うのだけど、それなりに需要はあるのだろう。どんな感じか正直気になる。

で。とりあえずお店のホームページを覗いてみた。

キャバクラや風俗のHPよろしく「スタッフ」のところに猫の写真が載っている。ワンドリンク制でオプション料金を出したらオヤツがあげられる…とか、まったくもってキャバクラと同じだ。

まぁ、私は女性なのでキャバクラとか行ったことないのでイメージで語っているのだけど。

私は動物が全般的に好きで物心ついた時から犬と暮らしていた。なので基本犬派。

だが猫にも興味がある…と言うか嫌いじゃない…むしろ猫も好きだ。しかしHPを眺めていて「猛烈に行きたい」と言う気持ちにはならなかった。

なんかちょっと…コレジャナイ。私が求めている猫との交流とは違う気がする。

私は12歳の年から華道を習い始めた。師匠の家には美しい黒猫が飼われていて家の中を自由にウロウロしていた。

動物の好きな私は師匠の黒猫を触りたくて仕方がなかったのだけど、黒猫は私には全く寄り付いてくれなかった。これは猫に限った事ではなくて、犬の場合もそうだけど、動物は子どもに対して警戒心を持っている事が多い。

「コイツらと関わっったら何されるか分からんな」と思われているのだと思う。

恐らく、師匠の黒猫も「よそ者のガキが来やがったぜ…」と私をシカトしていたのだと思う。

結局…私は12歳から十数年華道教室に通い続けた。私は子どもから大人に成長し、黒猫は私の姿を見ると膝に乗ってきて甘えるまでになった。

「まぁ、ミーちゃんは白蓮さんが大好きなのね。白蓮さんの膝が自分の場所だと思っているみたい」と言われるまでになった時の達成感と言うか、満足感はたまらぬ物があった。

ギャルゲーム、乙女ゲームで言うところの「チョロイもんだな…とうとう落としてやったぜ」ってところだ。

きっと猫カフェにも通いつめればそういう体験が出来るのだとは思うのだけど、ちょこっと言ってオヤツをあげて、写真を撮って…と言う行為自体はそれほど魅力に感じない。

私が求めている猫との交流はそうじゃないのだ。

猫カフェのHPを見ていたら美しい黒猫のミーちゃんの事を思い出してしまった。

華道の師匠は随分前に教室を閉めてしまったし、ミーちゃんは既にこの世の猫ではない。猫を飼った事は無いけれど、ミーちゃんは私にとって最高の猫で、たぶん最後の猫だと思う。

今となっては懐かしくも美しい思い出だ。

……などと御大層な事を書いているけれど、もし好奇心に勝てず猫カフェに突撃する事があれば、また日記でご報告をば。

今のところ予定はないけれど、ずっと行かないでいられる自信は無い…とだけ書いておく。

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日記
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