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映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』感想。

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『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は『ヤングアニマル』で連載されていたは武田一義の戦争漫画『ペリリュー 楽園のゲルニカ』を原作とるアニメ映画。予告のCMを観て「この作品は名作の予感がする…」と感じたので公開翌日に映画館へ足を運んだ。なお原作未読で挑んだ。

第二次世界大戦時の「ペリリュー島の戦い」を史実として描かれた作品。ちなみにペリリュー島へは1万人の日本人兵士が投入されたが生き残ったのたった34名。兵士たちは終戦を知らず昭和22年(1947年)までペリリュー島に潜伏していた。

この作品は感想を書くにあたっては盛大にネタバレを盛り込んでいくので「ネタバレNG」の方はご遠慮ください。

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ペリリュー -楽園のゲルニカ-

ペリリュー -楽園のゲルニカ-
監督 久慈悟郎
脚本 西村ジュンジ 武田一義
原作 武田一義
出演者 板垣李光人 中村倫也 天野宏郷
藤井雄太 茂木たかまさ 三上瑛士
音楽 川井憲次
主題歌 上白石萌音「奇跡のようなこと」
公開 日本 2025年12月5日
上映時間 106分

あらすじ

物語の舞台は944年(昭和19年)夏、南太平洋の美しいサンゴ礁に囲まれたペリリュー島。

そこに配属された21歳の日本兵・田丸均は漫画家になることを密かに夢見る気弱で優しい青年だった。田丸は島の豊かな自然や生き物たちをスケッチしていたが、ある日が上官から特別任務「功績係」を命じられる。功績係は戦死した兵士の最期を英雄的に美化して描き、遺族に送るための記録係だった。

田丸は同期で頼りになる上等兵・吉敷佳助をはじめ、仲間たち(高木二等兵、市村上等兵など)と共に兵士としての日々を送っていた。

9月15日、米軍の精鋭部隊4万人が島に上陸を開始。東洋一の飛行場を狙った大規模侵攻に対し、日本軍守備隊はわずか1万人で「徹底持久戦」を強いられる。艦砲射撃と爆撃が島を覆い、銃撃戦が激化。一瞬で楽園は地獄絵図と化す。

田丸の部隊は洞窟や陣地に籠もり、米軍の攻撃を耐え抜くが隣にいた仲間が次々と倒れていく。吉敷は田丸を励まし続け、戦闘の中で互いの絆を深めていく。

田丸は功績係として、死んだ仲間の「勇姿」を描き続けるが現実の凄惨な死に様とのギャップに疑問を抱き始める。飢えや渇きが兵士たちを襲い始め、誤射や負傷者の苦しみが日常化していく。

戦いが長期化し、数ヶ月が経過。補給は絶たれ、飢餓、脱水、赤痢などの伝染病が蔓延する。田丸の仲間たちは次々と命を落とし、吉敷も重傷を負いながら田丸を守ろうとする。島の美しい自然の中に死体が積み重なり、ハエの音が響く地獄のような状況が続く。

田丸は極限状態で生き延びようと必死にもがき、戦争の無意味さや人間の脆さを痛感しながら一年が過ぎ、田丸達の知らないうちに終戦を迎える。

米軍の支配下となった島で終戦の事実を知らない日本兵たちは潜伏を続ける。集団自決の誘惑や狂気が周囲を蝕んでいく。そして……

お涙頂戴にしないと言う英断

『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』を観て1番感心したのは「泣かせ演出を徹底的に排除した」ってことだった。映画のポスターには「生き残るー2人の約束」なんてキャッチコピーが印刷されていたものだから、てっきり「戦争物でありつつも男の友情的なヤツ? 2人のうちどちらかが死んじゃう感じ? 泣いちゃう感じ?」くらいに思っていたけど、思っていたのだけど「泣き」に繋がる演出は徹底的に排除されていた。

泣かせにかかるようなポエミーな演出も無ければ涙を誘うようなBGMも無かった。

戦争映画って泣かせようと思えば、いくらでも泣かせることが出来ると思うのだけど『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は泣かせるよりも「問いかける」「考えさせる」タイプの作品だったことに感心した。

感心したと同時に「この作品…分かりやすい感動を求めている人には刺さらないかも知れないな」とも思った。

『鬼滅の刃』が漫画、アニメ共にヒットしたのは「主人公の竈門炭治郎が自分の心の内までセリフとして口に出していたから」ってところがあると思う。人間って自分の思いを分かりやすく口に出して言うものではない。「行間を読む」ではないけれど、様々な描写から登場人物の思いを汲み取るのが創作(小説・漫画・アニメ・映画等)を楽しむ醍醐味だと思うのだけど、最近は分かりやすいコンテンツが受け入れられやすい気している。

それだけに『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』の抑えた表現は今の若い世代には伝わり難いかも知れないな…少し心配してしまった。

功績係のお仕事

主人公の田丸は漫画家を目指す心優しい青年。彼は「功績係」を言い渡されて職務に励む。功績係って言うのは要するに兵士が戦士した時、家族に「どんな風に死んだか」を伝える文章を書く役目。「ご令息は勇猛果敢に敵陣に切り込み、見事、敵兵を打ち倒すも(中略)「天皇陛下万歳」との言葉と共に名誉の戦死を遂げられました」みたいなアレ。

……とは言うものの。すべての兵士が華々しい死に方を出来る訳ではない。病気で死ぬこともあれば、戦争とは関係ない不慮の事故で死ぬこともある。実際、田丸が功績係として最初に行ったのは、足を滑らせて滑落し頭を打って亡くなった兵士の記録だったが、田丸は仲間の無残な死を華々しい戦士として記録する。

そこで田丸は気付いてしまう。「今まで勇猛果敢に死んでいったと伝えられていた人達の死に様も自分が書いたのと同様に創作だったのかも知れない」ってことを。

デェフォルメキャラだから出来たのかも

『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は原作漫画の画風通り、デフォルメされたキャラクターで戦争を描いている。この絵柄は4コマ漫画にもなりそうな可愛らしい造形でおよそ戦争に似つかわしくないように思うのだけど、かえって良かったように思う。

例えば…だけど『沈黙の艦隊』の川口かいじのような絵柄だったら、残酷さはより伝わったと思うのだけど、あまりにも痛ましくて観ていられなかったかも知れない。

アメリカ、日本を問わず兵士達が虫けらのように死んでいくし、グロテスクな描写も多い。デフォルメされた絵柄だからこそ事実を事実として描けたのかも知れないな…と思ったりした。

声優を使わなかったことについて

デフォルメキャラと共に感じたのは「声優を使わなかった」のは「あえて」だったのだな…ってこと。

私はヲタクなのでアニメは声優に演じて欲しいと思っていて、宮崎駿がある時期から自作に声優を使わなくなったことを恨んでさえいる。「アニメは声優が声を演じた方が圧倒的に上手でしょ?」と。

だけど、この作品に関しては声優を使わなくて正解だったと思う。声優の演技はドラマティック過ぎるのだ。

例えば。吉敷は射撃が上手くて何度も田丸や他の兵士達を救っている。正直カッコイイ。だけど、それって別の言い方をすると「アメリカ人兵士を殺害した」ってこと。吉敷はアニメキャラクターのヒーローではなく農家の倅であり普通の人なのだ。

『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は戦争がテーマなので、それこそ『ゴールデンカムイ』あたりで活躍した声優の声ならピッタリだろうな…ってキャラクターも多いのだけど「カッコイイ」「素敵」「萌え~」みたいな対象にしてはいけなかったのだと思う。

その点、板垣李光人にしても中村倫也にしても「普通の日本人の青年」を上手く演じていたと思う。

戦争の無駄と恐ろしさを感じた

映画を観ている間、私はずっと「白旗掲げて捕虜になったらいいのに。こんな戦い無駄過ぎる」と思っていた。そして、もし夫や弟、私の知っている子達が戦争に行くとしたら「卑怯なことをしてもいいから生きて帰ってきて。頑張らなくていいからとにかく生き伸びることだけ考えて」と言ってしまうと思う。

善悪とか倫理観とか、そういう次元を越えて「死にたくない」と思うし、自分が大事に思う人達に死んで欲しくない。ましてや無駄死になんて真っ平だ。

普通の人達が過酷な環境の中で飢えや病気と戦いつつ、銃を手に人を殺さなきゃいけない状況って異常だな…感じた。

自分の中の卑怯さと向き合う

スピルバーグの名作映画『プライベート・ライアン』の時も話題になったと思うのだけど「究極的な状況に陥った時、人間はどんな行動が出来るのか?」って問題も印象的だった。

例えば。「仲間が敵に殺されそうになった時、自分は銃を撃てるのか?」とかそう言った話。

私は『プライベート・ライアン』を観た時、ウルマン軍曹に自分の姿を重ねてしまった。「もし自分があの状況に陥ったとしたら、自分はどう動くのか?」と考えた時、私は「私もウルマン軍曹のようになったしまうな」と思ったのだ。

『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』には仲間を救うカッコイイ人も登場する一方でウルマン軍曹のような人もいる。だけど私は彼らを「卑怯者」と避難できない。その場に立ったら私も決してヒーローにはなれないと思うから。

2025年のマイベスト3映画

『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は多くの人…特に若い世代にに観て欲しいと思うものの、大ヒットは難しいだろうな…とも思う。

だけど私が2025年度に観た映画のベスト3に入るほど心に刺さる作品だった。2025年観た映画のベスト3はこんな感じ。

ベスト3と言ってもジャンルが違うので順位を付けることが出来ない。ちなみに次点は『8番出口』。年末に素晴らしい映画を観ることが出来て満足している。今年の映画はこの作品で〆とする。

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