ここ数年の造語だと思うのだけど「繊細ヤクザ」って言葉を見聞きする事がある。
「有休取った」って話をした時に「仕事を休めない私に対しての自慢してるの?」みたいな返しをしてくるアレ。「遠足に凝った手作りお弁当持っていくのはどうなの?作ってもらえない子の気持ちを考えたことあるの?」みたいなのも繊細ヤクザの部類だと思う。
ネット界隈だけでなく、昨今は繊細ヤクザが多くて言葉選びが難しくなっているのを感じている。夫に「最近は繊細ヤクザが多くて困っちゃうよね」と愚痴ったら、夫から「白蓮さんは鈍感蛮族だからね」と言われてしまった。
鈍感蛮族! なかなかのパワーワードだ。
だけど「それはそれで良いかな。私はこのまま鈍感蛮族として生きていくしかないかな」みたいな気持ちにもなった。
なんて言うのかな。「暴言も相手のために言っていたら良し」みたいな昭和の価値観はノーサンキューだけど、暴言ではなくて一般的な言葉選びをしていても、なおかつ突っ込んでこられると困惑してしまうのだ。
世の中は平等には出来ていない。誰もが自分に配られたカードを駆使して生きていくしかないのだ。「あなたより恵まれない私(人)の気持ちを考えてよ」と言われても「いや…知らんし…」って思ってしまう。そして「配慮してよ!」「気持ちを考えてよ!」と声高に叫ぶ人を見ると「それって自分本位過ぎない?あなたを中心に世界は回って」とも思ってしまう。
自分を主張していくのは大切だと思う。日本人は自分を主張するのが苦手な人が多いけれど、欧米諸国では様子が違うようなので、繊細ヤクザ的生き方はある意味新しい時代に沿っているのかも知れない。
…って書いてみたものの、内心では「面倒くさいな」って思ってる自分がある。
そんな風に思ってしまうから夫から鈍感蛮族と言われるのだと思う。もちろん私とて他者への思いやりとか配慮は大事にしたい…って気持ちは持っているのだけど。
私は繊細ヤクザの方から申し立てを受けても素直に聞き入れることが出来ない程度には鈍感なので、これからは自分らしく鈍感蛮族として強く生きていこうと思う。