娘の通う公立中学校では毎年、クラス対抗の合唱コンクールが開催される。
娘は小さい頃から負けず嫌いで運動会だろうが、合唱コンクールだろうが頑張りたいタイプ。なので運動会や合唱コンクールはやたら本気で口数が多くなる。
生憎、娘のクラスは深刻なイジメこそないものの団結力がなく始終ギスギスしていて運動会も合唱コンクールもパッとしない成績だった。それについて、娘は「どうして真面目に練習しないんだろう?」と悔しがってはいたものの、それについては諦めているようだった。
ただ、同じ小学校だったAくんのクラスに関することは、ものすごく心に引っ掛かるものがあったらしい。
A君は身体障害と軽い知的障害がある子で中学校では支援級に通級している。娘が通っていた小学校は2クラスしかない小規模校だったから、小学校時代、娘はA君と何年間か同じクラスだった。
娘は小学校時代、A君と特別親しかった…って訳ではなかったし、むしろ「同じ班になると面倒くさい」と思っていた。
学校って場所は何かと言うと「連帯責任」があったり、班だったりクラスだったりで競わせる事が多いのだけど「A君と一緒になると絶対に負けちゃう」と言うことで、むしろ娘は「A君とは関わりたくない」と思っていた。…と。ここまでは小学校の話。
娘は「今年の合唱コンクールはA君の声が聞こえなかったんだよね」ってことを気にしていた。娘の言い分はこんな感じ。
A君は合唱コンクールで毎年、大声で下手くそな歌を歌っていたのに今年の合唱コンクールではA君の声が聞こえなかった。A君は下手くそかも知れないけれど毎年一生懸命取り組んでいた。それが全く歌っていない…ってことは、クラスの人から「お前が歌ったら合唱コンクールで負けるから声出すなよ」と言われたんじゃないかな…。
娘の考えはたぶん当たっていると思う。
娘も小学校時代に体験しているけれど、A君がいる班やクラスは何かの競争があると絶対に負ける。だけど小学校のうちは、なんだかんだ言って「A君も仲間じゃないか」みたいな空気があって、娘達は嬉しくはないなりにも「まぁ、仕方ないな」と状況を受け入れていた。
しかし3つの小学校が合併した中学校では「小さい頃からずっと一緒だった仲間感」なんて無いので小学校の時のような訳にはいかない。たぶんA君は色々と肩身が狭くて「合唱コンクールで声を出さない」と言う選択を取ったのだと思う。
「A君がいたら勝てないから歌って欲しくない…って気持ちは分からなくもないけど、だからって、それを言っちゃうとか、いくらなんでも酷過ぎる」と娘。
娘は私が思っいてた以上に良い子に育っているな…と感心しつつ、私の意見を娘に話した。
お母さんは障害を持ったお子さんと関わる仕事をしているので、建前的には「それは酷い」と言うべきなんだけど、現実的なことを考えるなら今回の件はA君にとって必要な経験だったかも知れない。これからA君はもっともっと大変な困難に立ち向かう必要があるんだよ。だから、ずっと「優しい世界」でいるのが良いとは言えないんだよね。
つい先日、国連は日本政府に「支援級や支援学校ではなくインクルーシブ(障害のある子どもと障害のない子どもが同じ場で学ぶ)教育を進めていくべき」と勧告したけれど、今の日本の教育体制でインクルーシブ教育を実現することは難しい。
娘だって自分自身が当事者の時は「A君は嫌いじゃないけど、A君と同じ班やクラスになるのは嫌だな」ってスタンスだった。別のクラスになったからこそ今回のような感想を持てるだと思う。
誰もが楽しく暮らしていける体制を作ることが出来たら最高だけど、それを実現するには巨額の費用と人員が必要で今の日本には到底不可能な話だ。
日本は恵まれた国だと思っているけど娘の話を聞いて社会の歪みを感じてしまった。いつか、きっと乗り越えていける気がするけれど私達はその領域に達していない。
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