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塩狩峠 三浦綾子 新潮文庫

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この作品を読んだのは中学生の頃。しかも、はじめて買った文庫本だったので、やたらと思い入れの深い1冊だ。

この『塩狩峠』は私の三浦綾子遍歴のスタートなので、これは読書録に書き記しておきたいかな…と。

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塩狩峠

結納のため札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車が、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れ、暴走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけた…。

明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を描き、人間存在の意味を問う長編小説。

アマゾンより引用

感想

中学生だった私は『塩狩峠』を読んでピュアな涙を流したものだけど、今にして読むと相当こっぱずかしい作品だと思う。

登場人物が、純情、一途の一直線な人々だったりするので恋愛も恐ろしいまでの純愛なのだ。

それでも「そんなことある訳ないだろ~」なんてツッコんではイケナイ。

なにしろ舞台は明治時代。道徳的な規範は現代とは違うのだ。もっとも……時代の問題を考慮に入れたとしても、この作品の真っ直ぐさ加減は並みじゃない。

作品中「真実」という言葉がサブリミナル効果のように使われている事からも、この作品の「真っ直ぐさ加減」を垣間見ることができる。

真実な人……真実な生き方……真実な……「そんな恥ずかしいことを堂々と言っちゃうなんて、どうよ?」などと思いつつ、ちょっぴり居心地の悪さを感じつつ、それでもジーンときてしまうのはなんだかんだ言っても小細工なしの直球勝負の勝利だと思う。

クドくても、臭くても、心揺さぶったモノの勝ち。感動したら負けなのだ。

この作品を語る時、どうしても外せないのは主人公永野君と、その親友である吉川君の生き方の対比だ。

永野君と吉川君は2人は心を許し合う親友であり、2人とも心の熱い素敵な男だ。

主人公の永野君は「思い込んだら命懸け」って感じの一直線野郎。とても主人公らしい主人公で、物語の感動は彼を中心にまわっていく。

いっぽう、吉川君は「堅実で地に足を付けた生き方」を志す男。

血気盛んな若い頃から、自分は自分の器に合った生き方を志す。母親に孝行して、妹を嫁がせて、自分も良い家庭を作って……そんな生き方ができれば満足だと考えている地味な男だ。

永野君と吉川君は、違う生き方を求める親友を尊敬していて2人はとっても仲良しだったりする。ビバ・友情。友情パワー万歳ってなもんだ。

とっても地味な吉川君が重要に扱われているあたりはポイントが高い。

永野君の生き方は、派手で人目を引くけれども吉川君の生き方だって、なかなかどうして、大したものだ。『塩狩峠』を読んだ読者の中で「吉川君のように生きたい」と思った人は案外、多いと思われる。そして、私も、その中の1人だったりするのだけれど。

永野君と吉川君の生き方を考える時私はどうしてもジレンマを感じずにはいられない。

吉川君的な生き方をしたいと常日頃思っているのに永野君的な生き方を求めがちな自分を思い知らされてしまうのだ。

真っ直ぐ過ぎる『塩狩峠』読んで、何か感じている間は、どこまでいってもジレンマから逃れられないような気がする。

一直線な生き方には憧れちゃうのだけれども永野君が辿った人生を考えると両手を挙げて賛成できないあたり……同じ本でも、年を経て読むと感動の種類は大きく変わってくる。

読み返してもなお、なにがしかの感動がある本というのは名作とよぶに相応しいのではないだろうか。

臭いよ…臭すぎるよ…と思いつつそれでも『塩狩峠』は私にとっての名作だし、繰り返し読んでも色褪せることはない。

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