遠藤周作と言えば、とりあえず『沈黙』を」ってな感じがするような代表作である。
『沈黙』は遠藤周作の長編の中ではかなり好きな作品だけど、マイ・ベスト・ワンは『侍』だったりして。
もっともベスト・ワンではないけれども、かなり好きなことには違いない。
沈黙
島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。
神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。
アマゾンより引用
感想
私の遠藤デビューがこの作品だったから……ということもあるかも知れないが、初めて読んだ時はものすごく吃驚した覚えがある。
今まで読んだことのないような「キリスト教ネタ」の小説だった。
歴史物、時代物が大の苦手なのに、グイグイと何かにとり憑かれたかのように読んでしまった。
「すごいよ。酷いよ。なんてこったい!」これが読後の感想だった。
キリシタンが迫害されている時代に、日本に潜入して布教活動をしている司祭が主人公で。主寝室は当然迫害されていく。
そして踏み絵を踏むだの、踏まないだの……という展開になる有名な小説なので筋書は割愛。
一応の主人公はロドリゴ司教ってことだが、影の主役がキチジローだということは、読んだ人なら納得してくれることかと思う。
キチジローは聖書で言うところの「ユダ」みたいな奴なんだが、これがすごく卑怯なのに「コイツってサイテー」とは思えないのだ。
なんと言うのかな。この作品を読んでいると、悪い人間なんていないんじゃないかと思えてしまうのだ。悪い人間がいるんじゃなくて「酷い現実」があるだけじゃないかと。
ラストシーンでロドリゴ司教とキチジローが語り合うのは圧巻だった。
「神はなぜ沈黙しておられるのか?」という何度も、何度も繰り返されたテーマがここでも登場してくる。永遠のテーマなんだろうなぁ。
神の沈黙というのは。私はキリスト教信者でもなんでもないけれど、いつもいつも「神の沈黙」を恨んだり憤ったりしているような気がする。
生きるというのは、なんと苦しくて哀しくて大変なんだろうかと思う。
だけど生きなきゃいけないのだろう。
私には、それくらいのことしか分からない。ただ、こんな小説を書いた人がいて、それを読んで感じた人が多いっていう事実は、なんとなく嬉しい気がする。
どうして嬉しいのかはよく分からないのだけど。
とにもかくにも私にとって特別な1冊である