私はいい加減、学ぶべきだと思う。私は辻村深月作品と相性が悪い……ということを。
今までも何作か読んでいて、ほぼ毎回「イマイチだった」と書いているくせに、書店や図書館で見掛けてあらすじを読むと「おおっ。このテーマは興味ある。読まなきゃ(使命感)」みたいな気持ちになって読んでしまう。
そして今回もまた改めて思い知った。私は辻村深月作品を読むべき人間じゃない……ということを。
ぼくのメジャースプーン
- 小学四年生の「ぼく」と幼なじみのふみちゃんは平穏な日々を送っていたのだけど、学校の飼育小屋のうさぎが何者かに惨殺される事件が起きる。現場を目撃したふみちゃんは心を閉ざし、登校拒否になってしまう。
- ふみちゃんを救いたい「ぼく」が頼ったのは、自分が持つ不思議な力……「言葉で相手に条件を課す能力」。同じ能力を持つ秋山先生の助言を受けながら、「ぼく」は犯人に与える罰について考え始める。
- 罪に見合う制裁とは何か? 限られた機会の中で熟考を重ねた「ぼく」は、ついに犯人に対して能力を使うことを決意するのだが……
感想
初手から「辻村深月作品とは相性が悪い」と書いたけれど、駄作だとか言うつもりはない。「私には刺さらないけど小説として出来が悪いという訳じゃないですよ」ということ。人に対する好き嫌いを語る時に「生理的に無理」という言い回しがあるけれど、それと近い感覚だと思う。
先の説明にも書いているけれど、事件の発端は小学校の飼育小屋で飼われていたうさぎの惨殺事件。世の中には動物を虐待して喜ぶ人がいて、実際にそういう類の事件が起こることがある。それは理解している。だけど本当に丁寧に……それはそれは丁寧に惨殺描写が描かれていて「その場面、そこまで丁寧に描く必要ある?」と首を傾げてしまった。
人間の心の奥底には嗜虐心があり、その欲求が強い人がいる。それはどうしようもないことでテーマ的には文学になり得ると思っている。最近だと漫画(アニメ)だけど残酷描写を含む作品として知られる『メイドインアビス』などはお子様NGの変態性が色濃く描かれている。
そういう変態性というか特殊な作品を読む時って、自分もそういう性癖を持っているか、そうでなければ理解と覚悟を持って向き合う必要があると思うのだけど、今回は覚悟を持たずに向き合ってしまったので最悪だった。
個人的には受け入れ難い作品だったものの、「他人の悪意とどうやって向き合うのか?」というテーマ性は良かったし、今の時代を反映した作品だと思う。「自分が好きかどうか?」と「作品としてどうか?」は全く別次元の話。
それはそれとして。辻村深月はこれで打ち止めにしたい。テーマは良くても、描写の方向性が自分には合わないのだ。未来の私が辻村深月の作品を図書館や書店で見掛けて「興味のあるテーマだから読んでみよう」と思わないことを願う。


