『母という呪縛 娘という牢獄』は2018年に娘が母を殺害し遺体をバラバラにして遺棄した事件の経緯を描いたノンフィクション作品。母を殺害した娘は母から厳しい教育虐待を受けていて医大受験のために9年間浪人している。
この作品。子を持つ母は読んでおいて損は無いと思う。「私はそんなに教育ママじゃないし」とか「うちの子、そもそも医学部に行けるような優秀なタイプじゃないから関係ないな」って人の方が多いと思うのだけど「私は関係ない」と思うのは危険かつ傲慢なことだと思う。
凄く怖い作品だったけど、読んで良かった。
母という呪縛 娘という牢獄
- 2018年に実際に起こった尊属殺人にまつわるルポルタージュ。
- 母を殺した娘は、ツイッターに「モンスターを倒した。これで一安心だ。」と投稿。
- 滋賀県、琵琶湖の南側の野洲川南流河川敷で、両手、両足、頭部のない、体幹部だけの人の遺体が発見され、事件の全貌が明らかになる
- 母を殺害した娘と記者との往復書簡がベースになっている
感想
読んでいて、しんどなるタイプのノンフィクションだった。娘、髙崎あかりと母、妙子が歩んできた年月は一般的な感覚からするとあまりにもクレイジーなものだった。
娘のあかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っていたが、母・妙子に超難関の国立大医学部への進学を強要されて9年間の浪人生活を送るが医学部には合格できなかった。あかりは看護学科に進学し看護師となるのだが、母に助産師になるよう強要され助産師学校を受験するも失敗。最終的に母を殺害し、遺体をバラバラにして埋めている。
医学部の場合、何年も浪人して入学する人もいる…とは聞くものの「医者になりたい」と言う強い意志があるならアリだと思う。だけど、あかりは母の意思で9年間浪人をしている。そもそこの時点でクレイジー極まりないのだけど、事件の原因はそれだけでなく、もっともっと根が深い。
娘のあかりは許されない罪を犯してしまった訳だけど、母親目線で読むと気の毒としか言えないし、刑期を終えて出所したら自分の意思を持って生きて幸せになって欲しいと強く思った。
それにしても。どうしてあかりの母はそこまで娘に教育虐待を行ってしまったのか? 今となっては真実は分からないし、推察するしかないのだけれど「どうにかならなかったのか?」と思ってしまった。母も娘も不幸過ぎる。
そして作品の中では善人として描かれてた父親の存在も気になってしまった。子どもは夫婦で育てるもの。たとえ仕事が忙しくても、妻がクレイジーだったしても父親だって関係なかった訳じゃない。むしろ「ちゃんと父親の役目を果たせよな?」と感じた。
私のブログは娘の高校受験時代のことを書いた記録を読みにきてくれる人が多くて、特に馬渕教室関係で読みに来てくれる方の中には教育熱心な方が多い。メールなど問い合わせを戴いた中には「お母さん(もしくはお父さん)ちょっと落ち着いてくださいよ」と思ってしまうほど、熱い…と言うか熱過ぎる人もいる。
親と子は血が繋がっていても別人格。それなのに子を自分と同一視してしまう親のなんと多いことか。
『母という呪縛 娘という牢獄』は読後、色々と考えさせられる作品である共に、私も親としての姿勢を問われる作品だった。
私はあかりの母とは違うタイプの人間だと思っているけれど、それでも娘に対しての言葉の選び方など「高圧的になっていないか?」「知らず知らずのうちに娘を追い詰めるような言い方をしていないか?」など見つめ直していきたい。
あまりにも衝撃的な内容ではあるけれど、子どもを持つ親…特に進学校に通っている子を持つ親の必読書だと感じた1冊だった。