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PLAN75の世界で私は…

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昨年『PLAN 75』と言う映画を観た。安楽死が合法化された近未来設定の作品だった。テーマ自体は面白いと思ったものの、稚拙な仕上がりでちっとも面白いと思えなかった。

しかし先日「これはまさしくPLAN 75の世界…」としか思えないような夢を見た。そして、その夢の中で私は自分自身の安楽死を考えていた。

夢は夢でしかない…とは言うものの、自分の取った行動は案外本心なのかも知れない。だって私はその夢を見ている最中、夢を夢として認識していなかったのだから。

夢の中の私は独身だった。家族はおらず1人暮らしの身の上。そして親友のFと共に安楽死を実行すべく施設で順番を待っていた。

安楽死なので苦しむことはないし強制された訳ではなく、私もFも自分が死ぬことに同意していた。さらに言うなら死の直前に「やっぱり辞めます」と言っても認められるシステムだった。

「さて。次が私達グループの番だね」となった時、私は唐突に猛烈に「死にたくない」と思った。そしてFに「やっぱり、死ぬの辞めようよ」と言うのだけれど、Fは「嫌だよ。今さらそんな気無いよ」と言った。

最終的に安楽死は個人の意思に委ねられるので最終の意思確認のときに私は「やっぱり辞めます」と言うつもりだった。たとえFが1人で死ぬことになっても私は生きていたかった。

そして「死ぬなんてもったいないなぁ。Fだって、わざわざ死ぬことないんだよ…だけどたとえ親友でも考え方は違うからなぁ。持病と共に生きているFと私とでは見ている世界は違っているのかも知れない。私は一生、Fを引き止められなかった事を後悔するんだろうけど、それでも私は死にたくない。Fには悪いけどもう少し生きさせてもらう」なんて事を考えているところで目が覚めた。

私は以前「長生きしたい」って事を日記に書いているけれど、それは私の意思…と言うよりも周囲のしがらみによるものだった。「娘が一人前になるまで死ねない」とか「母達や夫は私が看取りたい」みたいなところから「長生きしたい」と思ったに過ぎない。

だけど夢の中の私は独身で守るべき家族のない独り身だったのに「生きていたい」と強く思ったし、たとえFが安楽死を選んだとしても「やっぱり私は生きさせてもらう。1人でも生きていく」と決意していた。

自分があんなにまで「死にたくない」と思うだなんて、いままで考えたこともなかった。

だけど、たぶんアレが私の本心なんだと思う。「自分のことは自分が1番よく分かっている」と思っていたけど、そんなの思い込みでしかなくて私は私の心を分かっていなかったみたいだ。

私、今まで自分が「生きる」ってことに貪欲な人間だったなんて、ちっとも知らなかったよ!

私。現在52歳。あと何年生きるのかは分からないけれど、自分の気持ちを真っ直ぐ受け止めて貪欲に生きていこうと思う。

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