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明けない夜はない。

20年来の先輩と1年ぶりにメールを交わした。

その人は20代の頃、一緒に働いていた職場の先輩だった。私はその職場で短い期間しか働いていなかったのだけど、彼女とは何かと共通点が多く、私が彼女の妹と同い年と言う事もあって、当時は随分と可愛がってもらった。バブルはもう弾けていたけれけど、今よりはずっと景気が良くて彼女は結婚退職。お祝いに呼ばれたり、新居におじゃましたり、赤ちゃんを抱っこさせてもらったりした。私はまだ社会人になりたてで「結婚した先輩の家にお邪魔する」なんて経験をしたのは初めてだったため、その時抱っこさせてもらった赤ちゃんは、いつまでたったも私とにって「特別な子ども」だった。

しかし彼女の結婚は不遇だった。西原理恵子風に言うなら「しなくてもいい苦労」を一杯したと思う。結局、彼女は2人の子どもを連れて離婚した。私も父の会社がポシャったり、弟が事故って社会復帰するまで何年もかかったりして、がむしゃらに働いて過ごしていた。しかし不思議な事にそんな状態でもお互いに「お誕生日おめでとう」のメールだけは毎年欠かさなかった。年に1回のお祝いと近況報告がずっと続いていて現在に至る。

その間、先輩と実際に会ったのは数回だけだ。

そして先日、お誕生日おめでとうのメールを出すと「長男が高校を卒業して、装具士の専門学校に通っています」との近況報告があった。私が初めて抱っこさせてもらった「先輩の赤ちゃん」は知らないうちに青年になっていた。先輩も苦労したけれど、彼も子どもなりに苦労したと思う。生活だって楽じゃなかったと思う。そんな中で、しっかりと将来を見据えて頑張っていると言うのを聞いて、他人ながらも胸が熱くなった。建前上では「職業に貴賎はありません」とは言うものの、先輩の子どもが地に足の着いた人の役に立つ仕事を選んだと知り「先輩の子どもらしいなぁ」と思ったり「先輩も随分楽になりますね」と思ったり。

「明けない夜はない」と言う言葉があるけれど、本当だなぁ……とつくづく思う。

だけど、その真っ只中にいる時は決してそんな風には思えない。絶望するし自棄糞にもなる。その真っ只中から抜出せるかどうかは、努力の有無よりも「運」とか「周囲の人の助け」という、自分ではどうにもならない要素が大きいんじゃないかと思う。私自身がどん底にいた時は沢山の人から助けてもらった。

先輩が幸せに暮らしていて、私自身も幸せに暮らしている事を心から嬉しいと思った。

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日記
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白い木蓮の花の下で
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