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かたばみ 木内昇 角川書店

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『かたばみ』は新聞小説として掲載されていた頃から評判が高かったらしく、単行本化してからも「面白かった」と聞いたので「それじゃあ私も読んでみよう」と手に取った。

確かに…テンポが良くてドラマティックな話だった。「朝の連続ドラマにしたら良さそうだなぁ~」と思えるような内容で評判が良かったのは理解できたのだけど、私には引っ掛かるところが多過ぎて本気で楽しむことが出来なかった。

悪いけど無理…壁本(読後、壁にぶつけたくなるような本)とまでは言わないけれど、それに準ずるくらいには無理だった。

評判が良い作品を悪く言うのは申し訳ない気持ちでいっぱいになるけれど、自分に嘘はつけない。今回は否定的な感想になるので木内昇が大好きな方や『かたばみ』を愛している方はごめんなさい。

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かたばみ

ザックリとこんな内容
  • 太平洋戦争の影響が色濃くなり始めた昭和18年。日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍していた山岡悌子は、肩を壊したのをきっかけに競技を引退し国民学校の代用教員となった。
  • 西東京の小金井で教師生活を始めた悌子は幼馴染みで早稲田大学野球部のエース神代清一と結婚するつもりでいたが、恋に破れ、下宿先の家族に見守られながら生徒と向き合っていく。
  • 一方、悌子の下宿先の家主の兄である権蔵はその日暮らしを送っていたが、周囲からの勧めにゆって悌子と結婚する。
  • 夫婦になった悌子と権蔵は戦争で亡くなった清一の息子・清太を育てることになり…

感想

物語のあらすじ自体は感動的だし、根底に流れるテーマも現代的で良かったと思う。だけど、あまりにも…あまりにも都合の良すぎる展開とツッコミどころの大きさに「それは無いだろ?」と真顔になってしまったので、素直な気持ちで楽しむことができなかった。

まず私が入り込めなかった最大の理由はヒロインの悌子が幼馴染に片思いしてフラれる経緯。悌子は槍投げ選手でガタイが良くて決して美人とは言えないタイプだけど清一だけは悌子を馬鹿にしたりせず、優しく扱ってくれていた。また悌子や清一の両親も「いつか2人が一緒になるだろう」みたいな風に考えていて、悌子は清一を婚約者のようなイメージで捉えている描写が書かれているにも関わらず、清一は華奢で可憐な女性と結婚して、悌子には結婚を事後報告している。

……いくらなんでも、そりゃないだろ?

「悌子の一人相撲なのでは?」と思わせる伏線をキッチリ貼ったうえでの展開なら納得いくのだけど、そうじゃないのが謎過ぎる。新聞連載だったそうなので「ビックリ展開」を重視した結果、唐突な展開になってしまったのだろうか?

……とは言うものの。時代背景を考えると恋愛に超奥手な女性なら「思い込み」だけで突っ走ってしまった説は否定できない。ここについては目を瞑ることにした。

だけど清一の子を養子として育てるようになった経緯はあまりにも酷い。当時の常識から考えてもあり得なさ過ぎるのではないだろうか?

傷心の悌子は周囲からの勧めで下宿先で知り合った権蔵と結婚することになる。ぎこちないながらも新婚生活をはじめた悌子と権蔵の元に「戦死した清一の子を引き取って欲しい」との話が舞い込んでくるのだけど、清一の妻は健在なのだ。

新婚ホヤホヤで実子のいない夫婦に親戚でもなんでもない子どもを「養子にしてくれ?」と言うのはあり得ない。しかも清一の実家は裕福て未亡人の母もいる状況なのだ。当時の価値観から考えると、いくらなんでもあり得ない。

『かたばみ』は「血縁が家族を作るのではない」みたいなところがテーマになっているのだけれど、それにしてもドラマを作るためだけのゴリ押し設定は酷過ぎないか?

感動的な物語を書きたい…ってのは理解出来るけれど、何もかもがゴリ押し過ぎて鼻白んでしまった。悌子が理不尽な目にあってもなお心優しく正しく生きさせたかったのだろけど、あまりにも仕事が雑過ぎる。

もしかしたら新聞連載を追っていて、毎日少しずつリアルタイムで読んでいたら細かい設定など気にならずに追いかけていけたかも知れないけれど、1冊の本として読むと厳しいものがある。

あらすじとかテーマは嫌いじゃないだけに、読後は残念な気持ちと憤りでいっぱいになってしまった。木内昇の作品はもういいかな…と思った。

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