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映画『ミリオンダラー・ベイビー』感想。

3.5
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『ミリオンダラー・ベイビー』はクリント・イーストウッドが出演、監督したボクシングをテーマにした作品。第77回アカデミー賞では7部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、主演女優賞(スワンク)、助演男優賞(フリーマン)の4部門を受賞している。

2004年に公開されているのでかれこれ20年前の作品らしい。

『ミリオンダラー・ベイビー』が公開さたれた時に話題になったのも覚えているけれど、なんとなく今まで観ることがなく、アマゾンプライムで試聴したのだけれど、予備知識ゼロで試聴したので猛烈に驚かされた。

予告編で観た印象と全然違う作品やん! こんな予告編詐欺ある?

……これは私だけでなく多くの人が感じただろうと思うのだけど、薄っすらでも予備知識があれば、そこまで驚かなかったと思う。

今回は盛大なネタバレ込の感想なのでネタバレNGの方はご遠慮ください。

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ミリオンダラー・ベイビー

ミリオンダラー・ベイビー
Million Dollar Baby
監督 クリント・イーストウッド
脚本 ポール・ハギス
原案 F・X・トゥール
原作 F・X・トゥール
『テン・カウント』
出演者 クリント・イーストウッド
ヒラリー・スワンク
モーガン・フリーマン
音楽 クリント・イーストウッド
公開 アメリカ 2004年12月15日
日本 2005年5月28日
上映時間 133分

あらすじ

アメリカ中西部でトレイラー・ハウスに住む貧困家庭に育ち、死んだ父親以外から優しい扱いを受けてこなかったマギーはプロボクサーとして成功して自分の価値を証明しようと、ロサンゼルスにあるフランキー・ダンのうらぶれたボクシング・ジムの戸を叩いた。

フランキーはかつて止血係(カットマン)として活躍した後、トレーナーとなってジムを経営し多くの優秀なボクサーを育ててきた。

しかしフランキーはボクサー達の身の安全を深慮するあまりに慎重な試合しか組まない上、口下手で説明が不足していたことからビッグチャンスを欲するボクサーたちに逃げられ続けていた。さらにフランキーはその不器用さから実の娘ケイティとは音信不通になっている。

マギーがジムに入門したのはフランキーが最近まで手塩にかけて育ててきたビッグ・ウィリーに逃げられたばかりの時だった。

最初フランキーはマギーのトレーナーになることを拒んだものの、フランキーの旧友でジムの雑用係、元ボクサーのエディ・『スクラップ・アイアン』・デュプリスが彼女の素質を見抜いて同情し、マギーとフランキーを取り持つ。

次第にフランキーは毎日ジムに通い続けるマギーをコーチングしはじめる。そして練習を通じ、やがて2人の間に実の親子より強い絆が芽生えて行く。

マギーはフランキーの指導の下、試合で勝ち続けて評判になりはじめる。あまりの強さから階級を上げる事になったものの、そのウェルター級で遂にイギリス・チャンピオンとのタイトルマッチにまでたどり着く。

この試合でアイルランド系カトリック教徒のフランキーは、背中にゲール語で「モ・クシュラ」と書かれた緑色のガウンをマギーに贈るが、マギーがその言葉の意味を尋ねても、フランキーはただ言葉を濁すだけだった。

タイトルマッチの後も勝ち続けてモ・クシュラがマギーの代名詞ともなり出した頃、フランキーは反則を使う危険な相手として避けてきたWBA女子ウェルター級チャンピオン、『青い熊』ビリーとの100万ドルの試合を受けることを決めるのだが…

ボクサー成り上がり物語?

ボクシングと言えば「成り上がりが可能なプロスポーツ」ってイメージがある。映画でも名作が多く、日本人だと『明日のジョー』を思い浮かべる人が多いと思う。私もその中の一人だ。

明日のジョーの矢吹ジョーは少年院出の不良少年だったけれど『ミリオンダラー・ベイビー』のヒロインであるマギーも貧民家庭に生まれ、ロクな育ち方をせずにウェイトレスをしている…言う設定。

そんなマギーがボクシングに出会い。クリント・イーストウッド演じるカットマンのフランキーと共にスターへの階段を駆け上がっていく。

ボクシングは男性のスポーツと言うイメージが強いのだけど、女性のプロボクシングもあるようで、アメリカではそこそこ人気みたい。プロスポーツってお国柄が出ると言うか、国によって扱いが違っていて日本の女性ボクシング界よりずっと栄えているみたい。

マギーの快進撃は観ていて実に心地よい。フランキーは一癖も二癖もある男だが、マギー自身もなかなか食えない女で2人は良い師弟関係を築いていく。そして何よりもアレだ。「学ぶ&教えるの関係の2人」ってのはエモい。この関係ホント好き。

理不尽な不幸展開に驚愕

ご機嫌で物語を追っていたのに2人に理不尽な不幸が襲いかかってきて驚愕した。

マギーはウェルター級のチャンピオン「青い熊ビリー」と100万ドルの試合に望むのだが、その試合でラウンド終了後にビリーがマギーの後ろから反則パンチを繰り出し、転倒したマギーはコーナーにあった椅子に首を強打。頚椎を損傷して首から下の機能を全て失い、寝たきり状態になってしまう。

今までの快進撃から一転、不幸のドン底へ。

あまりにも物語が調子良く進んでいたので「チャンピオンになったとたんマギーが慢心して堕落していく展開とかはあるのかな?」くらいには思っていたけど、ここまで唐突に突き落とされるとは思ってもみなかった。古き良きのエロゲー(泣きゲー)ぐらいには唐突で残酷な展開に呆然としてしまった。

酷い…酷過ぎる…

観ている人間はビリーへのヘイトを募らせてしまうし「アメリカの女子ボクシングはどうなってるのよ!」と思っちゃうのだけど、もし実際にそんな行為があったとした、プロの権利を剥奪され法廷送りになる…くらいの大事件で映画のためだけに作られた設定とのこと。

そして原作本ではビリーの反則云々ではなくて試合中に起きた事故で脊椎を損傷した…ってことになっている。このくだりはクリント・イーストウッドが、不幸と理不尽さを盛った…ってことだ。

尊厳死の問題

世の中には全身麻痺だろうがなんだろうが、それでも「生きたい」と思う人は多い。

例えば…だけど『こんな夜更けにバナナかよ』の主人公は長らく全介助で生きているけれど、それはそれとして強くたくましく最後の日まで生き続けている。

…とは言うものの。『ミリオンダラー・ベイビー』のマギーの場合、不幸な生い立ちで教育を受けていない。マギーが本を読んだり勉強したり…みたいなことに喜びを見いだせるタイプだったら良かったのだろうけど「ボクシングだけ喜びだった」みたいな感じの人で「こんな状況なら死なせて欲しい」と尊厳死を望む。そりゃそうだよなぁ…って話だ。

尊厳死とか安楽死って国によっては法律で認められているけれど『ミリオンダラー・ベイビー』の中では宗教的な意味も含めてタブーだったらしい。だけどフランキーはタブーを犯してマギーの願いを叶えるのだ。フランキーの取った行動についての評価は個人の考え方によって変わると思う。

モ・クシュラの意味と最後のキス

『ミリオンダラー・ベイビー』の中でフランキーが名付けたマギーのリングネームはモ・クシュラだった。アイルランド語でマギーは物語の最後まで自分の名前の由来を知らずにいる。

モ・クシュラの意味は最後に明かされるのだけど「おまえは私の親愛なる者、おまえは私の血」ってことらしい。フランキーはマギーをそこまで大切に思っていたんだね…ってエピソード。

ただ、それはそれとして。フランキーがマギーの人工呼吸器のスイッチを切る前に彼女に口づけをする場面が引っ掛かってしまった。頬へのキスじゃなくて唇へのキス。

「フランキー、お前さんが彼女に抱いていた気持ちはそっちやったんか~い!」と思わず全力で突っ込んでしまったよね。

  • 女性ボクサーと師匠の師弟物語
  • 成り上がりボクサーの栄光と挫折
  • 尊厳死について
  • 親子ほど年の離れた女性と高齢男性の老いらくの恋←new!

映画を観た後に知ったのだけどクリント・イーストウッド自身が『ミリオンダラー・ベイビー』について「これはラブストーリーだ」と語っている。

……そうか…そうだったのか…クリント・イーストウッド。流石っす!

クリント・イーストウッド、自分の好きな物を全部のせしてくるの流石っす! 宮崎駿の『君たちはどう生きるか』もそうだったけど自分の好きな物を全部乗せして映画を作るのは楽しかっただろうなぁ(遠い目)

ただ『ミリオンダラ・ーベイビー』は『君たちはどう生きるか』と違って最初から最後までちゃんと面白かったので不満は無い。ちょっとビックリしちゃったけれど、それについては税金だと思って飲み込むことにする。

『ミリオンダラー・ベイビー』は私としては大絶賛…とはいかないし、色々と思うところもあるけれど、最初から最後まで目が離せない心を掴まれる作品だった。

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