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それでも私は泣けなかった。

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昨年度、仕事で関わっていたお子さんが亡くなった。

春に卒園されて支援学校に進学。センターには訓練だけ通われていたので、卒園後も顔を見ていたし会話も交わしていた。

深刻な持病があったり、医療的ケアのお子さんに関しては「この子は何歳まで生きられるんだろう?」と思うことはあるけれど、亡くなったお子さんに関してはそういうタイプじゃなかった。訃報を聞いた時「えっ?なんで?」と理解できなかった。

死因はインフルエンザ脳症だった。

インフルエンザ脳症は誰にでも可能性のある病気だけど、持病があったり高齢者だったりすると死亡する可能性が高くなる。

まさかそんな事で…たかがインフルエンザで亡くなるとは思いもよらなかったので、正直ショックだった。でも私は泣けなかった。

職場では絶対に口にしてはいけない事だけど、亡くなったお子さんのお母さんはメンタル的な部分で病んでいて「子どもを可愛いと思えない」って気持ちを抱えていて、療育園の母子通園を苦痛に感じておられた。

「子どもを可愛く思えない」だなんて人非人みたいに思ってしまうかも知れないけれど、考えてみて欲しい。

「春から小学校1年生なんです」って言う我が子が発達検査的には9ヶ月とか言われてしう絶望を。子どもはどんどん大きくなるのに会話ができないのでコミュニケーションも取れない。しかも、夜は寝ない。永続的な寝不足の中、難易度の高い育児を強いられるのは苦痛だったと思う。

内緒だけど(と言っても書いてる)上司と2人きりで話をした時に「卒園した◯◯君。お母さんは彼が中学に入る前に音を上げて施設に入れるとうんだけど、白蓮先生はどう思う?」って聞かれたことがあった。

残念だけど私も彼のお母さんに限界が訪れた時点で施設に行くんだろうな…と思っていたので、上司の意見に丸っと同意した。上司は「在園中に母子の関係を結んであげたかったけど出来なかった…」と辛そうに話てくれた。

大人にならずに亡くなってしまうのは本当に切ないことだけど、別の見方をすると「彼は親孝行をして、あっちの世界に行ったのかもね…」とも思えてしまった。

…繰り返し書くけど、こんな話。職場では絶対に口に出来ない。

そんな気持ちがあったので、涙するよりもむしろ、その子に対しても両親に対しても「いままでお疲れさまでした」みたいな気持ちが込み上げてきた。

それと同時に「私は眼の前にいる子に対して、もっともっと全力を尽くさなきゃいけない」とも思った。

自慢だけど私の娘は一般的に言うと「良く出来たお子さん」だと思う。彼女は「高校、めっちゃ楽しい」と言うけれど、たぶん彼女の人生のピークは今じゃない。年を重ねるごとに理不尽なことや不幸に遭遇するだろうけれど、それでもトータルとしては「あの頃はめちゃくちゃキツかったけど楽しかったな」って言える未来がある。

だけど私が関わっているお子さん達は「今この瞬間が人生のピーク」って可能性が高い。私は彼らの大事な時間を共に過ごしているんだな…ってこと改めて思い知らされた。

もっと自分の技術を高め、全力を尽くして目の前にいるお子さんに一瞬一瞬を楽しんでもらいたい。

昨今の障害児界隈は「先を見据えた支援」みたいな考え方が主流だけど、今回のように早逝する子を目の当たりにしたり、若くして老人施設に入所する子を見たりすると「とりあえず今を大事にしたい」って気持ちになってしまう。その気持ちが正しいかどうかは分からないけれど、それは今の私の素直な気持ち。

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