お誕生日に友人が贈ってくれた薔薇は1週間ほどで、ほとんどが散ったり枯れたり萎れたりしてまった。
1週間経った時点で元気に残ったのは3本。
途中、何度も水切りしたり花瓶を変えて活け直してみたけれど、暑い時期の切り花の寿命はこんなものだ。
日本の華道にしても西洋のフラワーアレンジメントにしてもその瞬間は最高に綺麗だけど「その後、いかに綺麗さを保っていくか?」ってところは花を活ける人の心意気にかかっている。
例えば…華道の場合、活けられた花の種類によって持ちが違うので最高に綺麗な状態を保つのは難しい。
どれか1本でも花が枯れたり萎れたりした時点で活け替えることは必須。工夫してもどうにもならない状態になったら水盤から外して、小さな花瓶に活け直したりする。
フラワーアレンジメントも同じことでオアシス(花の吸水スポンジ)に差した花は花瓶に挿した花よりも持ちが悪いので、状態を見ながら水切りをしつつ別の花瓶に挿し直したりする。
花が枯れていくさまを追っていくのは寂しいけれど、この1週間は本当に楽しかった。じっくりと花と向き合う時間こそが「花を活ける」ってことの本質なのかも知れない。
華道を習っていた若い頃は「どうやったら格好良くセンス良く活けられるか?」みたいな事ばかり考えていて「活け替える」ことについては熱心じゃなかった。それどころか「面倒くさいな。早く新しい花材を活けたいな」と思っていたけれど、この年になって「そこにある花と向き合っていく時間の大切さ」を感じることが出来るようになった。
そして、今回、花と向き合ってみて「花を活ける」ってことは本質的に貴族の遊びなんだなぁ…って事を改めて感じている。
野に咲く花く花をポイっと花瓶に挿すだけなら誰にでも出来るけれど「花の美しさを保ち続ける」となると、突然難易度が爆上がりする。日々の生活に追われる庶民が華道なんてやってられないし、たぶんそれは西洋のフラワーアレンジメントだって同じことだと思う。
そう言えは私が華道を習っていた頃の華道先生達ってみなさん裕福なご家庭の主婦で、お金に困っている人なんて1人もいなかった。
私は生憎と貴族ではないので家の中に毎日花を飾る生活は出来そうにないけれど、出来るだけ花を買うようにしたいな…なんて気持ちになったのは、久しぶりに花と向き合ってみて「私はやっぱり花を活けるのが好きなんだなぁ」と改めて感じたから。
また自分へのご褒美的に花を買ってこようと思う。