読んだ本の『50音別作家一覧』はこちらから>>

映画『PLAN 75』感想。

2.0
記事内に広告が含まれています。

公開時から気になっていた『PLAN 75』がアマゾンプライムにラインナップ入りしたと知り、早速視聴してみた。

『PLAN 75』は近未来日本で「75歳になったに安楽死を選べますよ」って制度が整い、その中で人々がどんな選択をして、どんな風に感じるかを描いた作品。

私は現在51歳。実母と義母は後期高齢者なのでリアルに「PLAN 75」に引っ掛かる。「どんな最後を迎えるのか」と言う問題ぱ「自分には関係ない話」ではない。

テーマに興味があったので、かなりの期待を持って視聴してみた。

スポンサーリンク

PLAN 75

PLAN 75
監督 早川千絵
脚本 早川千絵
出演者 倍賞千恵子 磯村勇斗 たかお鷹
河合優実 ステファニー・アリアン
大方斐紗子 串田和美
音楽 Rémi Boubal
公開 日本の旗 2022年6月17日

あらすじ

物語の舞台は現代より少子高齢化が進んだ近未来日本。国会で満75歳から生死の選択権を与える制度「プラン 75」がで可決された。

プラン75は各所で物議を醸していたが、超高齢化問題の解決策として世間はすっかり受け入れムードになっていた。

そんな中、夫と死別して1人で慎ましく暮らす、角谷ミチ(78歳)は高齢を理由にホテルの客室清掃の仕事を突然解雇される。住む場所をも失いそうになったミチはプラン 75の申請を検討し始める。

一方、市役所のプラン 75の申請窓口で働くヒロムと、死を選んだお年寄りに“その日”が来る直前までサポートするコールセンタースタッフの瑶は、このシステムの存在に強い疑問を抱くようになる。

また、フィリピンから単身来日した介護職のマリア(は幼い娘の手術費用を稼ぐため、より高給のプラン 75の関連施設に転職し、利用者の遺品処理などの作業に臨む日々を送る。

プラン 75に係わる人々がたどり着いた彼らなりの答えとは?

75歳以上のヤツは死んでくれよな!

『PLAN 75』の世界で最高に切れっ切れなのは「75最以上のヤツは死んでくれよな!」と言う発想と世界観だと思う。

「75最以上のヤツは死んでくれよな!」って発想は残酷そうに思えるけれど、実はちょろりと似たような事を考えたことのある人は多いのではないだろうか。高齢者ドライバーの暴走で若い人が亡くなった…なんてニュースが流れた時などは特に。

日本は昔から「高齢者は敬うべき」と言う考え方が染み付いていので「社会の役に立たなくなった高齢者はお荷物である」だなんて発想はとんでもない事だし、ましてや安楽死だなんて…って話。だからこそ『楢山節考』が発表された時に話題になり、映画化されたのだし、そもそも「姥捨山」の伝承は日本各地に残されている。

…とは言うものの『楢山節考』にしても『姥捨山』にしても実行者達は良心の呵責に苛まれつつ「忌むべきもの」として受け止めているが『PLAN 75』は国家の指導の下で推奨されている…ってところが大きく異なる。

「世界観が凄いな!」と素直に思ったけれど、しかし私は『PLAN 75』を絶賛することは出来なかった。

むしろ「良かったのは発想と世界観だけだったよね」まである。

高齢者は尊重されるべきという押し付け

『PLAN 75』のイマイチさは製作者が最初からゴールと結論を出してしまっている…ってところに尽きる。

結局のところ「高齢者は尊重されるべき」と言うところに落ち着いていて、それ自体は悪いと思わないのだけれど作品を観る側に委ねるべき部分を1ミリも残していないのは作品として稚拙だと思う。

主張が強い系の社会派作品って、観た人間が作品を観た後で議論したくなるような「余白」が必要なのだ。

『PLAN 75』に登場する主要人物達は1人残らずPLAN 75を否定するために存在していて、物語は結論に向かって作られているので「先が読めない感」が感じられず、観ていてちっともドキドキしなかった。

あの世界の中でもPLAN 75を推進する派の人間の言い分もあるだろうし、PLAN 75の考え方を本気で「良し」とする人がいても不思議じゃないのに、それについて『PLAN 75』の作品の中では全く触れられていない。

人間の世の中って全員が足並みを揃えて同じ意見でいることは不可能なのだから、反対側に立つ人間に踏み込まなかったのは作品として痛恨の失態だ言える。

作り込みが雑過ぎる!

『PLAN 75』を観ていてガッカリしたのは「制作側の押し付けが酷い」ってところもあったけれど、何よりも作り込みの雑さが気になった。

例えば…だけど、主人公のミチは住んでいる団地を追い出されそうになり、次の住居を探すのに苦労するエピソードがある。年金以外の低収入がなく、縁故のない高齢者は貸し渋りにあってしまう…って話は実際に問題になっている。

ミチが訪ねた不動産屋は「敷金(礼金だったかも)を半年分出すことができれば貸してくれる物件がありますよ」と言うのだけれど、ミチにはそれを払うことができなかった。不動産屋は「金銭的に無理なら生活保護はどうでうか? 生活保護受給者がは入れる物件があります」と生活保護を勧めてくれるのだけど、ミチはそれを拒否している。

このエピソードを観てなんか色々とツッコミたくなってしまったのは私だけだろうか?

  • 高齢者の悲劇を描いているけど不動産屋さん親切なのでは?
  • 生活保護のある世界感なのにPLAN 75?
  • …って言うか、そこまで生活が苦しいなら生活保護を申請して良いのでは?

「生活保護を受給したくない高齢者もいるんですよ」って意見は分かる。

だけど生活保護制度が存在している世界でPLAN 75を勧めたとしても、それらの制度を活用している人達は決してPLAN 75を利用しないだろうと思われる。

現在、生活保護受給者の半数以上が65歳以上の高齢者と言われているのに、生活保護制度と75歳以上の安楽死を同時進行させるのは理屈に合わない気がするのだ。

作り込みの雑さは他にも色々あった。

例えば。PNAN  75の申請窓口で働くヒロムは窓口に疎遠になっていた実の叔父がやってくるのだけど「親族の担当者はしてはいけない」と言うPLAN 75の運用ルールから叔父の担当から外れることになる。

ヒロムは叔父の担当から外れるものの、叔父が窓口に来たことをキッカケに叔父との親交を深め叔父への気持ちを募らせていき、ラストでは公務員にあるまじき行動に走ってしまう。

「自分知っている人が安楽死しようとしている」というのは辛いことだと思うものの、親族と言っても全く交流がなくて疎遠だった人間…ずっと顔を見てもいなかった人に対して、自分の人生を棒に振るほど入れ込んでしまう唐突さは安直だと思った。

回想シーンで良いから「幼い頃に叔父が好きだった」とか「叔父と自分の間に忘れ難い思い出があった」みたいな部分を描いてくれないと「えっ? なんでそんな事しちゃうの? そんなに叔父さん好きだったの?」と驚かされるばかりで、ちっとも共感できない。

作り込みが雑過ぎて共感出来なかったのはヒロムだけでなく、瑶やマリアについても同じで、彼らは突拍子もなくPLAN 75に反抗するので「なんか正義マン出てきたな~」みたいな印象を受けてしまった。彼らがそこに至るまでの「何か」を丁寧に描いてくれていたら、泣ける作品になっただろうに残念が過ぎる。

映像と背景は良かった

『PLAN 75』に対してダメ出しばかりしていては流石に感じが悪過ぎなので、最後に良かった探しなど。

残念な作品には違いないけど『PLAN 75』は胸糞悪い系でも無ければ、そこまで悪く言うほどかと言うとそうでもない。映像と背景はリアルで良かった。

特に良かったのはミチが暮らしている団地。ミチの団地を見て「私…団地で暮らした事ないのに、なんか知ってるし懐かしい」と感じた人もいたと思う。建物にしても部屋の中の様子にしても庶民の生活の再現度が高かった。

それ以外にもミチが働いていたホテルのバックヤードにしても、マリアが信仰(たぶんキリスト教)の集会で利用していた地域のコミュニティセンター的な建物など「あっ。なんか行ったことないのに知ってる気がする」と感じる場面が多かった。

監督の早川千絵は「日常生活を映像として切り取る」ことに関しては上手いと思う。

『PLAN 75』は様々な映画祭にも出品したようだけど今のところ大きな結果は出せていないようだけど「仕方ないよね」と言う気持ちでいっぱい。

テーマも良いし映像も悪くない。だけど映画はそれだけじゃないんだよなぁ…って事で残念な作品だと思った。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
映画
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました