お久しぶりの山田詠美。前回読んだのは2015年と随分前の話。
山田詠美と言えば私の中ではなんとなく「学生が主人公の小説を書く人」ってイメージが強い。『風葬の教室』とか『蝶々の纏足』が印象的だったからだと思う。そして今回読んだ『ぼくは勉強ができない』は題名が気に食わない…って理由から、今までなんとなく手を付けずにいた。
それなのにふと「読んでみよう」と思ったのは娘の高校受験が終わろうとしているから。私自身は勉強熱心な子どもではなかったけれど、娘が中学校に入ってからは「勉強ができない」どころか勉強に追われている感じだったので「勉強ができない」というフレーズが妙に刺さって、唐突に読みたくなってしまったのだ。
ぼくは勉強ができない
- 時田秀美はサッカー好きの高校生。勉強はできないが、女性にはよくもてるタイプでショット・バーで働く年上の桃子さんと熱愛中
- 秀美の母はシングルマザーで、秀美は母と祖父と3人暮らしをしていた。
- 秀美と彼に関わる人達を描く青春小説。
感想
『ぼくは勉強ができない』は発売当時、かなり話題になって平積みされていた記憶があるけれど、いま読むと猛烈に古臭い感じがした。1996年に初版が発行されていて、ざっと27年前の作品らしい。
そりゃあ27年も前の作品だったら古臭い感じがしても仕方がないよね…って話だ。発売当時の新鮮な時に読んでおくべきだったと後悔した。
若者が主人公なのに、彼を取り巻く環境や社会情勢や大人たちの考え方が古くて違和感があり過ぎた。なんだろうなぁ…もっと古くて昭和以前の作品だったら「当時の学生はこんな感じだったのね」と思えるのだろうけれど、なまじ今風なだけに違和感が凄い。
母親はシングルマザーで貧乏設定なのに母は編集者と言う超お洒落な職業についていて、何万円もする靴を平気で買っていたりする。高校生でも飲酒上等だし、主人公は「貧乏」と言いつつバイトをするでもない。27年前ならアリな設定なんだろうけど、いま読むと違和感しかない。
一応「自分ちは貧乏と言うけれど本格的な貧乏ではないし、もっと困っている家があった」みたいなエピソードもあったけれど「もっと困っている家」についてもリアリティがなさすぎて辟易するレベル。
年上女性と高校生の恋愛は、最近の言葉でいうならば「オネショタ」のノリなのかも知れなくて、ある意味ここだけは時代先取り。『賢者の愛』を読んだ時にも感じたけれど、山田詠美は若い男の子が好きなのだと思う。
いま読むとイマイチでしかないけれど、きっと当時はこのノリが最新だったんだろうなぁ。『推し、燃ゆ』で芥川賞を取った宇佐見りんのような初め若い人が描く青春小説は現代社会の中を生きる人を描いている…って感じがするのに対し『ぼくは勉強ができない』に出てくる登場人物は、飲み屋で中年のおじさんの昔話を聞かされているような感じがした。
年を経て古くなる小説と、年を経ても古さを感じさせない小説の違いって何なんだろうなぁ。
もし『ぼくは勉強ができない』が発売された当時に読んでいたら、きっと違った感想を持ったと思うのだけど、残念ながら私は作品に描かれた登場人物達の気持ちに寄り添うことができなかったし、面白いとも思えなかった。
「私達…もっと早く出会っておくべきだったね」と安っぽい恋愛小説のようなことを感じた1冊だった。